『神楽し編 其の壱 考察』オヤシロさま
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月詠🌸 (@higurashi_moon) | Twitter と申します。
「神楽し編」がついに始まってしまったわけですが、色々と見せられた結果気になることが多すぎて、気が付いたらカラスが鳴き始めていました…笑
さて、ひぐらしのなく頃に業/卒 廿回し編 第25回では、沙都子役のかないみかさんが「ギリギリまでクライマックス」と仰っていました。
なので私も負けじと最後まで考え、ハッピーエンドを信じ続けたいと思います…!!
1.羽入の回想
「神楽し編 其の壱」の始まりは、羽入による回想シーンからでした。
自身の娘、桜花に負わせた1000年前の罪「母殺し」。
人の世の罪を一身に受け、自身を娘に討たせるという。
彼女が1000年間孤独であったのは、一方的に絶望し、娘に辛い役目を押し付けてしまった僕への罰だったのかもしれないと話します。
そして、古手家に8代続いて女子が生まれた時、羽入は再び人間との接点を持つことに。
その8代目こそが「古手梨花」でした。
羽入「…だけど、最初の昭和58年6月。僕は、再び罪を犯すことになります。
死の運命を変えるため、あなたに繰り返す者としての力を与えてしまった。
…それは不完全な力で、あなたには100年もの苦しみを強いることに…。
精神は死を迎える間際まで追いつめられ、絶望の目を刻む、運命のサイコロを呪い続けた。」
自分が繰り返す者としての力を梨花に使ってしまったせいで、彼女を苛んでしまったことを改めて悔やみます。
ならばと、梨花の繰り返す者としての生を終わらせることを決意します。
梨花を苦しめた責任は自分にある。古手家の禁書の通りであれば、この身ごと罪を葬れば人の世の鬼を祓えるはずだと。
そうすれば、もう梨花が世界を繰り返すことは無い。
恐らくホワイダニットの一部はもう当たってると思って良いはずなのですが、この羽入の残り香が1000年前と同じような罪を梨花に負わせようとは考えなさそうですよね。
まだわからない部分ではありますが、恐らくここはごめんなさいするポイントになりそうです😷
しかし、梨花を苦しめてしまった罪は自分にあると思っている以上、最後に罰を受けるべきは私自身だとも、やはり思っていそうで…
繰り返す者の力を梨花から失わせるには、「梨花の元から去る」+「自身の力を完全に使い果たす」この2点ではないかと考えられます。
(卒OPの羽入の姿も思い浮かべながら…)
そして場面は羽入が思い出す「祭囃し編」の記憶へ。
ついに本史のシーンが!!!
私はこれを「本物の祭囃し編」と捉えます。
セリフも尺の都合を無視すれば、綺麗にゲーム版と一致しています。
立ち位置に関しては、業卒の中でなるべく一貫させたい要素だったのかな?と思う程度です。
(※OPなど。下手に挑む者。上手に挑まれる者と配置すると絵の意味が際立つ。というやつです。他に意味あると考えてもいいですが、どちらかというとセリフの方が重要だと思います。)
そして次が問題のシーンですね。
これは間違いなく「賽殺し編」の最後のシーンだと、私も思います。
ですが、だからといってひぐらし業/卒の梨花と沙都子が「賽殺し編」を通ったとは思えないのです。
順番に整理していきます。
まずはここですね。シーンの切り方がいやらしく、まるで羽入がこのまま撃たれてしまたかのように見せられますが、その後のセリフでそれは間違っていると判明します。
このように、羽入は梨花が見せてくれた”あの奇跡”をこの目で見届けています。
なので、祭囃し編と同じように、あの後梨花が時を止めて銃弾を掴むというシーンがあるはずです。見せられなかっただけで。
あとはこちらですね、わざわざ梨花や沙都子のように「魔女の目」で表現したことには意味があると思います。
それこそ、先ほどのセリフ「自らカケラの海に。」と話していた通り、羽入はカケラ世界を渡れる人物の一人と考えられます。
そして、心癒し編のあとがきにもあるように「賽殺し編」も「心癒し編」でさえも、「祭囃し編」から広がる無限のカケラ(無限の可能性)の一つに過ぎない。
それぞれのカケラの物語は独立しており、繋がってはいないということです。
そもそも旧作8編がそのような仕組みでした。業/卒でもそれは変わらず。
羽入の語ったことを参考にするならば、恐らくどのカケラの世界であっても、いずれ羽入は自ら姿を消すつもりだったのではないかと思います。
そのタイミングは物語によって異なります。
梨花に人間としての人生を取り戻してほしいことと、成長を促すための過程としての行動だということも一貫していて、ある意味それが祭囃し編以降のカケラの「ルール」と呼べるのかもしれません。
ひぐらし業に戻って「郷壊し編 其の壱」。
入江先生は沙都子を含む村人たちの回復傾向が”ちょうど1年前から”と話しており、この会話の直前には診療所の1984年6月9日のカレンダーが表示され、梨花も「1000年人間不信だった誰かさん(羽入)が、やっと素直になっただけよ。」と話していることからも、羽入が消えたタイミングは1983年6月の内であることがわかっています。
この世界が続く先で沙都子はエウアと出会うわけです。
この舞台を降りる覚悟を決めていた羽入を引き止める描写もありません。一緒にいてもいい証(銃弾)も描写されません。
ここが1つの大きな分岐点となり、羽入が眠りについた理由となります。
ところが賽殺し編は、そもそもプールに行く日も自転車事故も7月に起きたこと。
そしてそこから1か月近くも眠りについていたということは、梨花が元の世界で目覚めた時には既に8月で、羽入もその時までこの世界に居た。ということになります。
それに、賽殺し編の梨花は羽入の見せた夢によって既に魔女を辞めています。
残っているのは羽入と、彼女の”新しい友達”。
より高次に存在する魔女「フレデリカ・ベルンカステル」だと考えられます。
アニメ版でも同じように、ここで魔女を辞めたと思われます。
賽殺し編で『魔女は辞める。私は"古手梨花"。』となったあの梨花が、業/卒でまた同じ流れをなぞるのは流石に不自然かなと…
次に死んだら、その運命を受け入れるとも語っています。
(これを原作者パワーで捻じ曲げられちゃっていたのならもう何も言えないです…笑)
梨花が「猫騙し編 其の参」で『100年の苦闘の影響で曇って見えなくなってしまっていただけで、自分が求めていた本当の幸せは雛見沢にあったんだ。』ということに気づいたように。
沙都子もこれから、自分の求める本当の幸せの再認識と、自分がやってきてしまった罪の重さに気づかされるはずです。
ちなみに、既に各所で話題になっているように、ひぐらし卒のOPの絵がアニメひぐらし礼のOPを彷彿とさせるようなものになっているのは、今回は梨花だけの賽殺し編ではなく、梨花と沙都子、2人にとっての賽殺し編という意味ではないか。というのが私の解釈です。
あれこれと長くなってしまいましたが、以上のことから羽入はカケラの海を渡ることができる者だから賽殺し編を知っているが、ひぐらし業/卒の梨花達は賽殺し編を通っていないと私は思います。
思い出という記憶のカケラを自ら砕き、角の修復に使ったというシーンなのでしょうか。
旧作の時点で「死の直前も記憶する力」が使えなかったのは、終わらない惨劇のループから抜け出したという事実が無いと、角の修復はできなかった。ということなのかもしれません。
梨花に、今の雛見沢の真実に気づいてもらうために取った行動でもあったと思います。
※9/15 追記
羽入の残り香は自身の記憶を思い浮かべることでカケラを生み出すことができ、それを壊すこともできるとこのシーンで明かされた。
残り香でさえできるのだから、彼女の本体もこれができると考えられ、力振り絞れば梨花と沙都子に定着してしまった間違った「猫の100年の記憶」を書き換えられたりできないだろうか…
また、私の騙し編解釈の説の伏線で、死なずとも思い浮かべるだけで騙し編のカケラは生まれる可能性。
───追記おわり
わーわーこれって、「鬼騙し編 其の弐」冒頭の彼女の表情の答えじゃないですかーーーー!!!!!
裏事情は色々あるけれど、それでも会えて嬉しかった。
梨花も同じように想ってくれていて、嬉しかった。
2.神剣・鬼狩柳桜
なんだよぉ!見てたのかよぉぉ!!!白沙都子の感情を否定した後だからこんな余裕の鑑賞ってことかぁぁ😇
私は腸流しで沙都子が梨花に痛み止めを使う理由に合わせるのではなく、猫騙し編最後の拳銃を梨花に向けたことを軸に考えていたのでダメだったってことですね!!笑
後で別の理由を考えましょう…
その表情😭😭😭😭😭😭
わかっていたけど、これも繰り返す者の代償だというのですか…!
あの時は覚えていたのに…!!
「猫の100年」+「無限の準備期間」で何百年と既に経過しているのが今ということですね。。。
ちなみに祭具殿での事件は、事故で腕を壊してしまった時に出た大きな音で初めて梨花パパが気づき、怒って梨花を叩く。という流れなので、沙都子の通ってきた過去というのも変わっていないでしょう。
それにしたって、ひぐらし業/卒一貫して、大切な部分だけ語られないことが多いですよね。
何となくですが「忘れてしまった大切なことを思い出して。」と私たちにも言われているような?
それは、今回の梨花にも沙都子にも言えることですよね。
前回の記事に書いた通り、今回は「記憶」というのがかなり大切な鍵だと思っているのもあります。
大人になると、子どもの頃の夢とか記憶とか、どんどん忘れてしまいますし、
ある地点から自分の人生に対して諦めを感じてしまったり、情熱が無くなってしまったり。
買いかぶり過ぎかもしれませんが、ひぐらしも20周年を目前にしているということで、ファンの年齢層も高めだと思うんですよね。
そういう所ともかけてたりするのかなぁなんて、思ってしまいました。
というか、このエウアと出会う直前の沙都子のシーン、時間帯が「猫騙し編 其の壱」の”かくれんぼの日没”と同じじゃないですか…見落としてた…?
そういえばこの時間帯、ひぐらしもちゃんと”鳴いていない”のですよね。
「全部終わる。…そう、ひぐらしのなく頃に。」
という圭一のセリフがありますが、『ひぐらしのなく頃=夕方』というのがこの作品の定義。
そう考えると確かに祭具殿での出来事は”終わり”ではなく、ここから無限とも思える”始まり”でしかなかったなと…
ここも繋がっているのなら、みんなが沙都子を見つける場所もやはり祭具殿の中なのかもしれませんね。
まだ予想でしかありませんが…
仮に、最終的に夢から覚めるかのように祭具殿の中に戻されるのだとしても。
その最後の世界は、沙都子の数百年の頑張りを否定しない「完成された世界」であってほしいと思いますし、梨花も"あの"梨花ではなく、本当の幸せに気づいた梨花であってほしいですね。
御神体の中に隠されていた「神剣・鬼狩柳桜」を引き抜く沙都子。
小学生の身には大きすぎてバランスを崩し、剣先の一部が破損してしまいます。
沙都子が壊したのであれば尚のこと、オヤシロさま像の中に欠片しか残らなかったのは沙都子の心の状態を表しているように見えてしまいます。
今回はオヤシロさま像の右腕ではなく、神剣・鬼狩柳桜が折れてしまう。
ここも意図して重ねてきているように思えてしまいますね。
鬼狩柳桜が欠片の状態でしか見つからなかったのは、猫騙し編 其の四において、梨花の沙都子へのアプローチや、その心にポジティブな変化が表れているにもかかわらず未だ欠片の状態であることから、恐らくは沙都子の心の状態とリンクしているものと考えます。
巫女の交代の話も猫騙し編 其の参でしていました。
ざっくり言えば、もう精神はズタボロですよ。ということです。
梨花の心からのプレゼントでさえも、疑ってしまったのですから…。
※エウアが羽入の残り香を操ってる説は、もう可能性としてほぼ無いでしょう。じゃあなんだったんだあのウィンクは…
落ちて来る剣に頬を掠められる沙都子。危ない…
今までもその自信からか、相当危ない橋を渡ってきていますもんね。。
イレギュラーな出来事も予測できていませんでしたし。
繰り返す者を殺すことができる剣とされていますが、このかすり傷は直接沙都子に効果があるというわけではなく、あくまでも暗喩として「繰り返す者としての力を失うその時は、すぐそこまで来ている。」という意味なのかなと捉えてみます。
ちなみに、綿騙し編で剣が無かった理由は、神剣・鬼狩柳桜が
「人と鬼の血が混ざりあった者にしか使えず、本来なら1000年間誰も見たことがない物」であるからというのと、
「沙都子の創造する世界では、新たな可能性を提示されることでそれが具現化される」からだと考えています。
時間が進み、日没後のシーンに。
うわぁ…なんかまた白神前幕の古手神社挟んできたぁ………💧
ひぐらし業ではなかったのに…!
しかもこれ、初めて見るタイプのやつですね。
お祭りの日以外という意味でも初ですし、それに対応して本殿の明かりが点いていなかったり、雲の描かれ方が違っていたり…
これ、本当に何の意味があるのか、前回の記事に書いたこと以上思いつかないんですよね。
他に何か掴んでる人いるのかなぁ。それとなく調べても誰も触れてないっぽい…?
一応、「祟明し編 其の伍」から変わったことといえば「羽入の残り香が梨花のカケラ世界から立ち去ったこと」とか。
この辺りが関係していなくもなさそうですが、ちょっと根拠としては弱い気がしますよね。
こればっかりは本当にわからないです。
そもそもこの6月12日(日)の時間の進み方と、梨花の行動が理解できないまま。
朝食を作っている時間から1時間後に分校に集合ということは、隠れんぼ開始の時間も間違いなく朝。
そして、梨花にはただ1つ目的があって、それが祭具殿の御神体の中の神剣・鬼狩柳桜を見つけること。
それなのに、彼女が祭具殿に向かったのは何故か日が暮れてから。おかしい。
世界がおかしくなり始めているのは、大石の手帳がその伏線だろうと考えていました。
そして、今回の沙都子の目線でも「過程(どうしてそうなったのか)」を省いてばかりで「結果」だけを次々と見せられる構図は変わらなかったため、私の中ではこれですっきりしたのですが…
加えて、惨劇に至る「過程」を省いて「結果」だけ映されるのも、この手帳の「見出し」だけがハッキリと映っていて、肝心な「記事の内容」がぼやけて読めない点と重なります。
本当に梨花は何をしていたんですかね。。
ひぐらし業と卒でお互いの視点である程度描かれていますので、梨花にとってもあれが真実なのでしょうけれど、梨花といえば神社というのはすぐに思いつくはずだから、最初は攪乱させるために他の場所に隠れてやり過ごしていた…とかなのでしょうか。
うーん、もやもやしますね。考えすぎなのかなぁ。
かくれんぼが終わり、日付変わって6月15日(水)。
6月13日(月)が綺麗にまるごと飛ばされましたね…
夕方、展望台にて赤坂に「ウジ虫」のことを話して注射したようです。
どうやって注射したかなんてもう重要じゃないのはわかっているので構わないのですが、これだけずっとカットされると嫌でも「えっ!?」ってなっちゃいますよね笑笑
そしてここから連続して、茜→公由→圭一とダイジェストで見させられました。
身体能力なども銃の練習が回想シーンとして描かれたように、全て鬼騙し編(鬼明し編)を始める前に準備を済ませていたということでしょう。
懐中時計!鏡の国のアリス要素また出してきましたね!
これについては、また次の項目で触れたいと思います。
というか結局、私がずっと気にしていたネギを切るシーンも燕返し失敗のシーンも、沙都子視点では一切描かれませんでしたのでその違和感は残り続けています。。
ひぐらし業/卒の梨花は、祟騙し編の公園で皆殺し編の魅音のセリフを真似ていたり等、確実に皆殺し編の記憶を持っているはずなのに、「猫騙し編 其の壱」のダビンチで圭一と大石が仲良くしているのを見て驚くという矛盾。
皆殺し編の記憶は最初から一部分しか持っていないという曖昧な解釈は流石にどうかと思うので、一体私は何を見せられていて、何に騙されているんだろう…?という気持ちです。
これらを私の”騙し編”の解釈「赤目沙都子の行動を否定する、白沙都子の描いた物語」に当てはめようにも、本当にそれが正しいのか、ここは正直微妙なところ。
謎は謎のまま…いつかわかる日がくるのでしょうか。マンガ版頼んだ…(そもそもかくれんぼしてない)
3.エウアと羽入の残り香
このセリフ、結構重要度高いですね。
エウアさんはやはり自分で物語を創るよりも、記させる方がお好きであると。
だからこそ、この業/卒の物語の起源は彼女ではないという可能性が高まってきたと思えます。
そもそも、彼女はルチーア1回目の祭具殿で、沙都子が角に触れて"初めて"このカケラ(物語)に降り立てたと話していましたからね。
そしてついに沙都子のカケラ世界の社や鳥居にひびが入り、角の傷を修復した羽入の残り香が登場…!!
何このアツい展開!?
そしてエウアさんは彼女に向けて言います。
”””我が”””出来損ない!!!!!!!
最終編らしいですね…!
この発言によって、エウアと羽入は元は同じような存在であることが仄めかされました。
つまり、ひぐらしの中だけで言えば彼女らはどちらも元は1つのオヤシロさまで。
綿騙し編で富竹さんが「詩音ちゃんの言う通り、最初から割れていたみたいだね。」と言っていたのも、つまりこの世界は最初からオヤシロさまが2人に分かれてしまっていたからその暗喩。
■羽入
不完全な鬼神 完全な母 現代のオヤシロさま像
■エウア
完全な鬼神 不完全な母 原始のオヤシロさま像(+現代のオヤシロさま像?)
羽入とエウア両者の分け方も、これで間違いなかったと言っても良い段階まできました…!
信仰の消えた雛見沢にて沙都子が祭具殿の御神体に触れた時、
それは"砕け散り"ました。
そして、そこから現れたのはエウアでした。
冒頭で私が突然言い放った
エウアは鬼狩柳桜の象徴である。
という言葉はここで繋がります。
エウアは慈愛の心の象徴なのです。
考察を始めた当初の考え方も含めると、エウアさんのことをどういう視点で捉えるかによって「愛がある」ように見えるか、「諸悪の根源」のように見えるのか…という一見矛盾した解釈の両立が私の中にあるように見えますが、贔屓目に見ているとかそういう理由でもなく、こうなってしまうのも間違ってはいなさそうなんですよね。
①沙都子に対して結果的に救いを与えるような約束をしながらも、その過程で心を歪めて魔女となってしまうであろうことを知っており、話さなかったこと。
②ひぐらし業時点では「滅茶苦茶だけど沙都子のことを気遣ってくれる優しい神様」に見えていたのに、ひぐらし卒では「巫女に惨劇の物語を記させてあざ笑う鬼神」に見えたこと。
③錫杖というアイテムから仏教的視点で見てみると、錫杖は菩薩を想像させ、常に浄手とされる右手に持ち、不浄手とされている左手では持つことを禁じられているはずなのに、右手で持ったり左手で持ったりと気まぐれなところ。
等々。
エウアさん、考えれば考えるほど色々な要素が詰め込まれたキャラクターだなぁと思いますし、善にも悪にも見えるこの不思議な感覚。
確かに、人によって与えられる行為が善意に見えたり、悪意に見えたりというのはよくある話ですが…「エウアさんは絶対的に”悪”だ!」とはちょっと言い切れないのですよ。。。
ようやく…ということは、梨花と再会したあの時から少なくとも別の神の存在を認識していて、神剣・鬼狩柳桜をエサに逆探知した…ということなんですかね?
結局この羽入の残り香さん、梨花のカケラの中を見れていたのかそうじゃないのか曖昧ですが、最初に「このカケラはどこに繋がっているの?」という梨花の質問には「昭和58年6月」と即答していましたし、やっぱり何かしら感じてはいたんじゃないかなと思ってしまいます💧
さて、ついに対峙した2人の神様ですが、今までの私の考察や古手家の伝承を基に考えるならば、羽入の目的はエウアを倒す…というよりは、彼女を封印するor元の一つのオヤシロさまに戻ることではないかなと思います。
鬼狩柳桜は「古手家と人の世の罪の象徴」であり「永遠に禁じられてきたもの」。
次回の冒頭からやり取りが描かれるでしょうし、非常に楽しみです…!
(全然そんなことなくて、突然羽入の残り香が剣を取り出して戦い始めたらどうしよう笑)
あとこれ!!!!
最初から沙都子のカケラ世界で祈っている羽入の本体らしき方は、次回明らかになるんですかね!?
今回の羽入の残り香の様子からすると、この空間に来れたのはあれが初めてのことのはず。
だからこそ、彼女が既にここにいるのはおかしいのです。
エウアをどうにかした後、あと一仕事やってくれると信じてます。。。
4.沙都子の真意
「猫騙し編、何回考え直してるの…笑」
ってくらい振り回されてしまって悲しすぎるのですが、それは置いといて…。
鏡の国のアリス的に言えば、第9章で赤の女王と白の女王が共に現れ、アリスにあれこれと質問を投げかけるようです。
第9章では女王となったアリスのもとに白の女王とともに再登場し、女王の資格を問うための質問をあれこれ投げかけてアリスを当惑させる。
そして女王といえば、ひぐらしのなく頃に的には「女王感染者」という言葉がありますよね。
沙都子は梨花の腸流しの直前に、エウアと羽入が対峙している場面に出くわしそうですし、梨花に対して
「オヤシロさまは、私に巫女を代わるようにと、そうお告げをくださいましたの。」
と言った理由がデタラメではなく、ちゃんとした理由があるのであれば、この辺りのやり取りが影響してそうです。
腸流しは、自分にH173を打って最初は祟りを下す者として鍬を振り下ろしていたけれど、次第に感情が抑えきれなくなって…という流れであってほしい。。。
丸々素の演技だったらしんどいですね…
さて、もう一つ気になるのは「どうして沙都子は梨花に拳銃を向けたのか」です。
考えられる可能性としては…
かくれんぼの際に梨花の「後5回頑張ってそれでだめなら、もう、諦めよう。」という言葉は聞こえていなかったようだったけれど、エウアか羽入か、もしくはその融合体にこの力は後1回分しかないことを告げられた。
もしくは
羽入の残り香が、沙都子がお誕生日会の世界に辿り着いた時には既に消滅していて、その記憶修復能力が無くなっていることを知られてしまったから。
でしょうか。
ここで羽入の残り香が何もできずに退場するというのは考えにくいので、エウアに対して何かしら影響を与えてほしいですね…!
おわりに
最終編突入!
ということで、物語が大きく動き始め、物語の根幹に関わる情報も与えられました…!
アニメの表現方法がちょっと意地悪で初見は結構戸惑ってしまいましたが、次回からは素直に観れたらいいなぁと💦
何がともあれ、まずは羽入とエウアのやり取りが非常に気になる「神楽し編 其の弍」!
そして恐らく、雛見沢でも猫騙し編のラストまで追いつくでしょう…!(追いつくよね?!)
最後まで信じて見守りたいと思います。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました!
また次回🌸