『祟明し編 其の伍 考察』祀り
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月詠🌸 (@higurashi_moon) | Twitter と申します。
「祟明し編」がついに終わってしまいまして、残すは「神楽し編」のみとなりました。
私は「桜」の文字が入っている予想でしたがハズレです!笑
とはいえ、希望的タイトルに変わりありませんでしたので嬉しい限りです!!
さて、今回はそんなタイトルを受け、今まで頭の隅に放置してしまっていた検証や考察を全部書き出していきたいと思います。
ドンピシャで痛いところを突かれた感じがして、やはり意味のない描写は無いんだなぁと思いました。。。
1.だまし討ち
1-1.答え合わせの続き
まずは「祟明し編 其の伍」の振り返りから!
一個間違えると連鎖的に間違えることになるの悲しいですよ!!
悲惨な答え合わせの続きをどうぞ…🤣(ちくしょぉぉぉ)
警察署へ行く前、鉄平からプレゼントされた洋服を沙都子は受け取る。
沙都子がシャワーを浴び、これ着替えたのは
今までは鉄平の、自分の嘘を信じ且つ優しく、そして護ろうとしてくれるその変化に戸惑うばかりであったが、そのブレない想いをついに認め受け入れたという証で、シャワーは"気持ちを一新した"という描写。もちろん赤目沙都子にとっては関係ない。
鉄平から服を受け取ってない!
そもそも家にあった服っぽい!!
シャワーは血を流しただけ!!!
おわり!!!!
ここでしか使われていない「鈴」の音は、神の音連れ(訪れ)と解釈しており、エウアが圭一に何か力を使って干渉したのだろうと考えてます。
羽入が梨花の心を鎮める力があったように(賽殺し編)、エウアにはその逆の力があるのではないか?という考えです。
圭一が、鬼騙し編では惨劇の記憶を全て保持していたはずなのに、祟騙し編では全く覚えていなかったという差異も、エウアの介入があったのであれば納得できます。
鈴の音の正体は!?!?!?!え???????意味なし???笑
と思いましたが…
私目線では、祟騙し編の北条家での一連のシーンは赤目沙都子の行動を否定する白沙都子によって作られた記憶だった…という認識で確定したシーンなのですよ。。
まず、赤目沙都子が大石さんにした発言は以下の通りです。
太字にした通り、あの鈴の音のシーンをまるごと赤目沙都子の回想とするには矛盾点が多すぎるのです。
また、大石さんの想像でもありません。
直前のカットが赤目沙都子であることと、大石さんだとしても、沙都子の話を聞いてそこから想像を膨らませるはずだからです。
ここで、肝心の祟騙し編で映し出されたカットを確認すると…
このように、白沙都子の”否定”と祟明し編で赤目沙都子が実際に起こした行動や、その結果が混じっている…という描写でした。
赤色が弱いのは、直前に赤目沙都子に自分自身を否定されて意思が弱まっているという表現なのかもしれません。
と、これらの特殊性を表すための鈴の音だったのでしょうか。。
正直この音に関しては何とも言えないです。
そもそも考えすぎだったのかもしれませんからね。
「神楽し編」でまた何か見せられるかもしれませんし、一先ず隅に置いておきます。
ところで、バットで殴られた圭一の混乱具合について、なんと一番最初に出した記事で自分で検証し、「信用ならない描写だ」と指摘していました…
もっと過去の私を信用してあげれば良かった😇
圭一VS鉄平の時は、圭一はバットで殴られた瞬間、衝撃で意識が朦朧としてしまっているため、その後の描写は私たちにとって信用できるものではありません。
祟騙し編も圭一視点で進む物語でした。
不意打ちを喰らい、意識がおかしくなった圭一が、一体何を正しいと感じられるのでしょうか。
皆さんは立ち眩みを経験したことがありますか?特に貧血で倒れる直前の記憶がおすすめです。
頭がクラっとした時や貧血で倒れこむ寸前の時、まるで方向感覚がわからなくなってしまいませんでしたか?
前に進もうと歩いているはずなのに、左へ右へ、または後ろへ移動していて、周りの様子も目の前が真っ白になってしまって認識できないんです。
1-2.圭一の記憶と特殊性
そしてここに関連しそうな事柄として、圭一について挙げたいのですが…
こちらの場面ですね。
暗かったので明るさMAXにしてあるのですが、よく見ると電気の紐が2本あるんですよ。
しかも紐の長さも、先端部分の形も異なります。
ということは、これ、圭一の認識と沙都子の認識がおかしいことに加えて、やっぱりカケラの中の世界そのものがおかしくなっている事に他ならない気がしてしまうのです…
①赤目沙都子が鉄平を殺して血まみれの部屋なのに、臭いにも気づかないし、血を触っても無反応。
②廊下のガラスまで血が飛んでいたはずなのに、都合よく消えている。
③梨花の迎えで祭りの会場に行くときには電気が点いていたはずなのに、消えている。と思ったら電気が点いている紐と、点いていない紐が同時に存在している。
何だろう、このシュレディンガーの猫箱感…叔父が死んでいる世界と、死んでいない世界が、電気を点けて圭一が「観測」するまで不確定の状態になっている…みたいな。
ただ、これで繋がったかもしれないことが一つあり…
レナ「圭一君の夢に沙都子ちゃんが出てきて、それでお寝坊さんだったんだよ~!はぅ~!」
圭一「おいレナ!その言い方は誤解を招くだろ?!」
圭一は自身が見た夢の内容について「沙都子」が出てきたとレナに話したようです。
しかし、祟騙し編で私たちが見たのは「鉄平を殺している圭一の夢」でした。
(略)
沙都子が圭一の夢に本当に出てきたのだとしても、それはそれで「沙都子のSOSサイン」を表しているのかもしれないと読み取れたりもして、どちらの解釈も成り立つような気がするのですよね。
ここですね。
もし、この圭一が見た夢というのが、本当に白沙都子のSOS的内容だったのだとすると、圭一の認識している世界と白沙都子の創造する世界の記憶は、案外繋がってたりするのでは…?
と思うわけです。
先ほどの北条家での惨劇も、電気のスイッチを引っ張るまでは明らかに祟騙し編の北条家の様子(鉄平が死んでいないから血が存在していない)、という私の解釈で言う白沙都子側の認識を圭一が持っているんです。
加えて圭一の特殊性についてはこれだけではなく、思い出す記憶の内容にも現れており…
一番わかりやすい例で、鬼隠し編でのレナを殴る圭一のシーンですね。
この時のレナは罪滅し編での圭一の回想シーンから読み取れるように、殴られて倒れた後は両手を広げた状態というのが正しい記憶だと思うのです。
このように、①③と②とで明らかにレナの倒れ方が異なっているのです。
どういう理由かはまだハッキリしないものの、圭一は最初から、梨花は魔女を卒業してから、平成ひぐらしでみんなが辿ってきた正しい世界の記憶を思い出しているんです。
特に③について、梨花が正しい記憶を取り戻していく中で、祭囃し編以降の今まで一度も登場していないカットを2枚見せられます。
これらは恐らく、左が私たちが知る正しい記憶の「祭囃し編」で、右がそのまま魔女として生きなかった場合(IF)の本屋でのシーン。(※実際に体験していたかどうかは怪しい)
このように、梨花が忘れてしまっていた記憶を取り戻すかのように、記憶が書き換えられているんです…!
これを沙都子側にも当てはめて考えたいところ!
そうなると、沙都子が魔女を卒業するためのプロセスとして、今まで散々提示してきた「白沙都子の真実の記憶」というのが大事になってくるのでは!?と思うわけです!
ついでにもうひとつ提示するならば、梨花がこれまで過ごしてきた「本当の100年の記憶」が沙都子の中の「猫の100年の記憶」を書き換えられるのだとしたら…
沙都子が梨花にとってどれほど大切な人だったのかを、彼女は知ることができると思うのです…!!
これらが、ここから物語をひっくり返すための武器なのではないでしょうか…!
しかし、梨花と違って沙都子はエウアの角が完全である影響で、死の直前の記憶、つまり一番辛い罪の記憶というのは忘れることができません。
忘れられないからこそ、白沙都子が自分の心を”騙す”かのように描いたのが「鬼騙し編・綿騙し編・祟騙し編」ではないでしょうか…?
罪は無かった事にはできません。でも、そもそも忘れる必要はないんですよね。
罪滅し編で魅音が言ったように、色々なことを繰り返して成長して、それで最後の最後に素晴らしい人間になれればいいんです。
「それで償いをして許してもらえたなら、それであなたの罪はおしまい。」
「二度と過ちを繰り返さないよう、常に胸に刻み付けるのは正しいこと。」
だからこそ、白沙都子の記憶というのは私たちへの物語の解答という側面と、記憶の完全上書きではなくとも、彼女の心が壊れないための、わずかでもいいから支えであってほしいなぁと私は思うのです。
もう1人の"私"が背負う大きな罪を、分け合い、ひとつになって一緒に償うのです。
さて。ここまでお話ししてもまだ、ここに関連しそうな伏線らしきものがひぐらし業にあるんですよ…
よく気づく…!正に主人公ムーブを発動した圭一。
そして、業と卒を通しても、今までの本編中でオレンジ色が弱めかつ、紫色が特徴的な日没というのはここだけのはずで。
でも、卒のOPには出てきているんですよ…全く同じ日没が…
どうして日没なんだろうとずっと疑問に思っていましたが、恐らくひぐらし業の「かくれんぼ」と関係があるのではないかと思います…
それに、「宝探し」の梨花のセリフ「勝負はかけっこではなく、宝探しなのです。僕にも勝ち目はあるのですよ!」も回収するならこれからなんですよね😔
記憶のカケラ探し…?
沙都子、めっちゃ消えそう…絶対救い出してください…
というわけで、「神楽し編」における圭一がキーパーソンの伏線があちこちに散りばめられていることがよく分かりました。
なのできっと、「ひぐらし業BD 其の参」のジャケットも、沙都子を救うきっかけを作ってくれるのは彼であるという暗示の1つと捉えて良いんじゃないかなと…。
そして、圭一から梨花へバトンを渡す流れがあって欲しいと、そう願うばかりです…!
1-3.その他色々
あ、トマトケチャップは幻覚説については、まだ引きずらせてください…
確かに旧作でも圭一はタフっぽいのですが、綿流し編は1回刺されただけですぐに家族に助けられ、鹿骨市の病院で手術を受け、その後もちゃんと術後の痛みを訴えているのが一つと、祟殺し編では橋から落ちた先にシートがあってそれで助かったらしいと独白しているので、業卒とは状況が違いすぎると思うのですよね…
先ほどの「記憶」の話もそうなのですが、明らかに圭一は他のみんなと違っていて、誰かの加護を受けていると言っても過言ではないのでは…と思っています。
何なら白沙都子なのかな…。
後は大石さんに対する沙都子の行動ですが、普通にあれこれと嘘を喋って自然発症を誘導してましたね。
H173の使い方を沙都子は勘違いしているとずっと指摘し続けていますが、ついにこんなにもハッキリと発症過程を描いてくれて、その違和感は増すばかりですね。
2.A∪A=U
さて、少し遡って惨劇の前。
梨花が部活メンバーとお祭りを楽しむシーンに彼女の独白が追加され、カケラ世界で祈る羽入の姿が映し出されました。
…違和感ありますよね。
まず一つ目が羽入といえば梨花のカケラ世界にいて、その背景はオレンジ色の帯なのに、この羽入は紫色の帯…つまり普通に考えれば沙都子のカケラ世界にいることになります。
そしてこの羽入さん、梨花のカケラ世界に度々現れる「羽入の残り香」とは決定的に違う特徴があります。
それが角の傷です。時系列順に並べていきます。
梨花が繰り返すごとに、この角の傷が増えており、「猫騙し編 其の壱」では力を使い切った影響なのか、梨花に想いを託し、自らの意思で梨花のカケラ世界から去っていきます。
そして、最初に貼った沙都子のカケラ世界にいる羽入にはこのような傷が全く無いのです。
ちなみに、沙都子が観た「猫の100年の記憶」に登場する羽入にも、傷はありませんでした。
以上のことから、見出しの式『A∪A=U』が再び見えてくるのでは…?と考えられます。
①U=沙都子のカケラ世界で祈ってる羽入が「あぅあぅ」言える羽入の本体
②小A=沙都子が触れた角の先で出会ったのがエウアだったため、羽入の本体から鬼狩柳桜が抜け落ちた存在。(羽入-鬼狩柳桜=エウア)
③大A=羽入の残り香
こうなるかなと思います。
しかし、②と③についてはカケラ世界での関係性から考えるなら、逆に定義してもおかしくはないかなと…
②小A=羽入の残り香
③大A=エウア
ですね。
※ちなみにエウアさんは英語で「Eua」と表記するので「A∪A」を無理矢理「エウア」と読まない方が自然かなと思いました。
まだこの羽入の本体らしき子とエウアさんが画面に同時に映ったことはないのでハッキリとはしませんが…
現状を見るに彼女は囚われの身でもなんでもなく、その祈る姿や、沙都子のカケラ世界で、直接エウアと対峙するような雰囲気が無いことからも、むしろ自らの意思でこの世界を開いた可能性が高まってきたと考えて良いのではないでしょうか…!
郷壊し編其の参 1988年(昭和63年)の雛見沢において、
祭具殿の扉を解錠したのは羽入。
首が痒くなってきた………!!!!!!
罪を一身に受け、我を討てとするならば、OPの羽入は最終的な姿ということに…?
そしてOPといえばもう一つ、終盤にエウアさんが錫杖を振るシーンがありますよね。
そしてその直後に5つのカケラが前面に出されるのですが…
先ほどの祈る羽入の周りにも、同じように5つのカケラが浮かんでいるのですよ…!
さすがに興奮が抑えきれない!!!
「実に愉快であるな…人の子らよ。」と言うあたり、もう完璧にエウアは鬼神なわけですが
そうであったとしても、そもそもエウアさんが錫杖を持っていることから地蔵菩薩を連想させますし、地蔵菩薩といえば救済!
救済といえば、エウアさんは最初に沙都子に約束をしているんですよ!
こうなってくると、「ひぐらしのなく頃に業」「ひぐらしのなく頃に卒」それぞれのOPEDの一部シーンの解釈も、私のそうであってほしいという願望がより現実的なものになって来る気が…!
もしも、本当に羽入が意図して開いた扉ならば。
それはもう、業と卒の物語全体が「祀り」だと言っても過言ではなくなります。
「祀り」は、神・尊(みこと)に祈ること、またはその儀式を指すものである。これは祀りが、祈りに通じることから神職やそれに順ずる者(福男・福娘や弓矢の神事の矢取り)などが行う「祈祷」や「神との交信の結果としての占い」などであり、いわゆる「神社神道」の本質としての祀りでもある。
この祀りは神楽(かぐら)などの巫女の舞や太神楽などの曲芸や獅子舞などであり、広く親しまれるものとして恵比寿講などがある。
その起源は古神道などの日本の民間信仰にもあり、古くは神和ぎ(かんなぎ)といい「そこに宿る魂や命が、荒ぶる神にならぬよう」にと祈ることであり、それらが、道祖神や地蔵や祠や塚や供養塔としての建立や、手を合わせ日々の感謝を祈ることであり、また神社神道の神社にて祈願祈念することも同様である。
あと、これは余談といいますか、そういう事もあり得るのかなぁという所で一つ。
普門示現
あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるという観点から、多面多臂の超人間的な姿に表されることが多い。
その元となったのが三十三応現身像と言われている。
応現身とは相手に応じて様々な姿に変わることをいう。
誰の心を参照するかによって、羽入⇔エウアと姿を変える可能性…?
昭和58年の雛見沢において、人によって、或いは状況によってオヤシロさまのイメージが「守り神」か「祟り神」で変化するように、誰の心を参照するかによって羽入やエウアもその姿を変えるのかもしれない…という仮説。
梨花が羽入のことを想った時に、沙都子のカケラ世界にいる羽入の本体が映し出されたのも、梨花のイメージするオヤシロさまは羽入しかいないからで。
逆に沙都子が一度も羽入の残り香について言及しないのも、実は全部、沙都子にはエウアさんに見えていたりして…という笑
観音様は人々の苦悩を救済する菩薩様。
そしてお地蔵様はどちらかと言えば、道祖神など庶民の身近に常に存在する対象として信仰されています。
どちらも菩薩様ですが、観音様は深い慈悲の心を持っているように見た目が母性的なものが多いです。
エウアさんの姿的にも、地蔵菩薩より観音菩薩の方がしっくりくるんですよね。。。
ちょっと無理があるとは思うのですが、面白そうなのでこれもここに残しておこうと思います。
3.神楽し編
さて、次回からついに始まる「神楽し編」!!
まずはタイトルから連想できることをひたすら並べてみましょう。
①神楽
神前に奏される歌舞。神座を設けて神々を勧請(かんじょう)して招魂・鎮魂の神事を行ったのが神楽の古い形で、古くは神遊(かみあそび)とも称した。
神楽は宮中の御神楽(みかぐら)すなわち内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)と、民間に行われる里神楽(郷神楽)に大別される。
ひぐらしで言う、奉納演舞のことですね。
古来日本で栽培されていたワタの栽培品種の一つ。東洋の在来種であるアジアワタで、花色が黄色または白色のものをいう。神楽綿。
神楽綿とかあったの…
②神楽師
里神楽(郷神楽)を舞うのを業とする人。
③奉納
奉納に用いられる対象は、必ずしも食物や酒、金銭や宝物などといった「物質」を納めることにかぎらず、一般的にはむしろ神楽や謡曲、踊りや武芸、山車または神輿などの練りや巡行といった「行為」で捧げることも多い。
また古来においては、「生贄」や「人柱」などといった風習も残酷ではあるが、これもまた奉納のひとつの姿であるといえる。
④神降ろし
日本で、祭の場に神霊を招請すること。また巫女が神託(神語り)を受けるため神霊を身にのり移らせること。その神を天に送り返すのを神上げという。
梨花ちゃまは「オヤシロさまの巫女」でもあります。
お魎さんの言う通り、梨花ちゃまの言葉はオヤシロさまの言葉でもある。
⑤神が楽しい?
エウアさんは見た感じ楽しそう。羽入も最後は笑ってほしいですね。
梨花もオヤシロさまの生まれ変わりなので実質神さま。
彼女が楽しいならそれはハッピーエンドでは…?
…こうやってざっと並べてみるだけでも、「神楽し編」が古手梨花の物語であろうことは言うまでもありませんね。
平成ひぐらしにおける第8話が「祭囃し編」であることを考えても、業/卒の最終編に相応しいタイトルと言えます。
3-1.奉納演舞
そんな中、作中で何度も描写された梨花ちゃまによる「奉納演舞」。
こちらを掘り下げていきたいと思います。
まずは、そもそもこの奉納演舞どこで行われてるの?という疑問からです。
旧作をご覧になっている方にはお馴染みですが、そもそもこの演舞って古手神社の本殿前で行われていたものだったんです。
そして、綿騙し編での設営の様子から考えても今作も本殿の近く、集会所の前辺りで行われていると考えて良いはずなのです。
なのに、奉納演舞の背景は「御神木」。
ひぐらし業/卒を通して観ても、この御神木が出てくるのは奉納演舞のシーンだけ。
おかしいですよね。
本殿どこ行っちゃったの?そもそもここはどこ??御神木は幻???となるわけです。
そして、その恐らく御神木とすり替わっている本殿というのが…
これなんじゃないかな…と思うわけです。
これを裏付けるひとつの理由として、ひぐらし業ED2「不規則性エントロピー」の映像が挙げられます。
木の根のようなものが、本殿らしき建物の下に生えています。
細かい仕組みの部分はわかりませんが、奉納演舞の舞台とカケラ世界は何となく通じてはいそう…というのはわかります。
元々ご神木というのが依り代の意味も内包しているため、カケラ世界が上位世界で、雛見沢が下位世界という構造にも、こちらの面からも納得がいきます。
他にも、奉納演舞にはその進行によって舞台上の物の書き分けがされており、それは基本的に以下のような流れなのですが…
①篝火…下手3つ・上手3つ 三つ巴マーク…有 太鼓のカン…片面2つ
②篝火…下手1つ・上手1つ 三つ巴マーク…無 太鼓のカン…片面1つ
②篝火…下手1つ・上手1つ 三つ巴マーク…無 太鼓のカン…なし
☆舞台全景
このように、下手側の布団の有無と篝火の数は対応しており、同時にその布団が消えると三つ巴マークも消えて、太鼓のサイズも小さくなるようになっています。
(※ちなみに、卒OP「Analogy」には『寄り添った篝火』という歌詞があり、魂が寄り添うような印象を受けることからも、三つ巴と関係が有りそうです。
三つ巴紋のモチーフの一つに古代の神具「勾玉」があるともされていますので。
)
ただ、すべての奉納演舞の中で「祟騙し編(祟明し編)」の奉納演舞だけは例外になっていて…
④祟騙し編(祟明し編)
笛を吹く男性が太鼓の三つ巴マークを隠すかのような立ち位置に、ここだけなっているんですよね。
私の中での三つ巴=三位一体の構成は「神(梨花)・子(沙都子)・精霊(羽入&エウア)」となっており、祟騙し編(祟明し編)だけがこのバランスが崩れているという意味の描写なのだとしたら、白沙都子が一時退場していることが理由として最も当てはまるのかな…?とは思いました。
とはいえ、そもそも奉納演舞の途中で篝火を片付ける意味がわかりませんし、太鼓も入れ替える必要もないわけです。
ということは、次の神前幕と合わせて「業卒とは全く違う別の世界?」の奉納演舞が混ざっているのでは…と思ってしまうのですよ。。
3-2.神前幕
☆神前幕とは
本来は平常時に白色を、祭礼時に紫色の神社幕を使います。元々紫は魔除けの力を持つと言われる色であり、神前幕の作成に取り入られたという説もあるようです。
ひぐらし無印~解~礼~業/卒と通して、古手神社の神前幕というのは共通して「紫色」が使用されてきました。
しかし、業/卒では綿流しの祭りのシーンに入る直前に、白色の神前幕が使われている『本殿』と、その入り口である『鳥居』が差し込まれている箇所があるんです。
このカットは全編共通して中身に変化のないものです。
これが使われたのは全部で3か所。(見落としてたらすみません…)
①猫騙し編 其の参
②祟明し編 其の伍
祟騙し編では無かったのに、祭り会場に行く時に差し込まれている。
③郷壊し編 其の壱[1984年 6月17日(日)]
①③だけであったのなら、惨劇の起きない、魔除けの必要のない平和な世界の象徴的描写なのかな?と思えたのですが、残念ながら先日の「祟明し編 其の伍」で突然差し込まれ、一気に謎カットになってしまいました…。
辿り着くべき「正しい世界」の1カット?とするにも、しっくりこないですし…?
白という色から連想するなら「調和のとれた世界」とも読めますが…光の三原色的にも。
わざわざ本殿と鳥居が一緒に映るようなアングルであることからも、カケラ世界と関係がありそうではあるのですが。
仮に、梨花の奉納演舞を通じて2人のカケラ世界が、もしくは舞台である雛見沢と合わさるようなことがあったとしても、今までの梨花がそういうつもりで演じてきたわけではないので、よくわからない感じに…。
エウアさんを倒してほしいわけじゃないですし。
梨花と沙都子の問題が解決したら、それと同時に去っていきそうですし。
これ、後4話で回収されるものの一つだとは思いますけど、現状これだ!というのが思いつかないですね💧
3-3.岩戸隠れ(9/8 追記)
神楽について調べていると、「アメノウズメ」と呼ばれる日本の芸能の女神であり、日本最古の踊り子。
そして、彼女が登場する神話「岩戸隠れ」の記述を必ず目にします。
天照大神 (あまてらすおおみかみ) が、弟の素戔嗚尊 (すさのおのみこと) の乱暴を怒って天 (あま) の岩屋戸に隠れたため、天地が真っ暗になり昼がなくなったという神話。困りはてた神々が、祝詞や舞などで大神を招き出すと天地は再び明るくなったという。
この神話には、引用した通り天照大神と呼ばれる「太陽を神格化した女神」が登場するのですが、これらがひぐらし業/卒「神楽し編」と、私の考えている展開予想や重要だとしてきた事柄たちが密接に繋がった感じがしたので書き残すことにしました。
ここまで読んでくださった方なら、もう察しがついている気がしますが、私の中の定義(例え)は以下の通りです…!
アメノウズメ=古手梨花(月)
岩戸隠れ=かくれんぼ+宝探し
まず、梨花をアメノウズメとする理由は2つあり、一つはアメノウズメが天照大神に出てきてもらうために踊ったこと。ひぐらしで言う「奉納演舞」のことです。
そしてもう一つが「月」ですね。
アメノウズメとは直接関係はありませんが、ひぐらし業/卒の奉納演舞シーンでは鍬を振り上げる梨花の背面に、満月が日付関係なく映し出されることがありました。
この満月の意味について(どうして○月○日に満月が昇っているのだろう…?)と固く考えるのではなく、もっと詩的に「梨花の象徴」「浄化」を表すのではないか。と読んでみることにしました。
(そもそもひぐらしはゲーム版でも日付関係なく満月が描かれてます。)
梨花はオヤシロさまの巫女として、雛見沢を治める役割を担っていたり、部活メンバーに対しても(特に圭一や沙都子を)なだめる役割に回ることが多かったと思います。
続いて沙都子について。
梨花が「月」なら、沙都子は「太陽」でしょ!と単純に考えたことがまず一つですね。
「綿流し編」にて村長が行方不明になった時には、彼女を不安にさせないようにみんなが空気を作って盛り上げたり。
「祟殺し編・皆殺し編」では、状況が特殊とはいえ沙都子のためにみんなが決起したりと、常に仲間の中心にいて場をかき回す存在であり、とても大切にされている印象が強いです。
そして、太陽の神格化である天照大神は「岩戸隠れ」において”隠れる側”であること。
皆殺し編で提示されていたような精神崩壊が、沙都子に起こってしまいそうな現状。
真っ暗な世界に魔女だけが取り残されることと、天照大神が天岩戸に閉じこもり(隠れ)、世界が闇に包まれてしまったこと。
これに近いことが沙都子にも起きると思うのです。
カケラ世界に取り残されて、梨花と会えなくなる。
今まで生み出してきたカケラの存在も、次第に薄れて消えようとしてしまう。
卒OPの描写から考えられる「かくれんぼ」の伏線と、これから回収されるであろう「宝探し」での梨花セリフ。
この日本神話がこの国最古のひきこもり事件とされるなら、業/卒の物語は古手家開祖である「古手桜花」と、彼女が用いたとされる「鬼狩柳桜」の伝承が既に絡んでいること。
天照大神が岩戸を開けるきっかけとなったのが「鏡」であること。
(業/卒通して鏡・鏡に写るもう一人の自分・鏡像・鏡の国のアリス等々、鏡が強調されている。)
三種の神器である「剣」「勾玉」「鏡」全てが業/卒の中で描かれていること。
(神剣鬼狩柳桜・三つ巴マークは勾玉を図案化した説がある・鏡は前述の通り)
そして天照大神を引っ張り上げたのはアメノタヂカラオであり、力持ちの神様とされていて、今作やたらタフだのタックルが強いだの言われている圭一と重なること。
彼には正しい世界の記憶を持っている等の特殊性があること。
魔女となった赤目沙都子を救うのは梨花でもあり、鏡に写るもう一人の自分。
白沙都子の描いた”騙し”の記憶でもありそうなこと。
と、これだけあるんです…!笑
もちろん、あくまで私の解釈から繋がって成り立っているものがほとんどではありますが!
岩戸を開き、雛見沢にも、そして沙都子の心にも光が戻ってきてほしいなと😭
というわけで、沙都子を暗闇から救う人物やキーとなりそうな事柄が、現状かなり重なって見えてしまいます…というお話でした😭
どうなっちゃうの!神楽し編!!!
明日が楽しみで仕方ないです。
おわりに
ご覧いただき、ありがとうございました!!!
最終編直前ですが、ひぐらし業放送終了後から考えられることは、これで全て出したつもりです…!!😭
残り4話でどういう物語を見せてくれるのか、信じられる分逆に恐ろしいのですが、みんなにとってのハッピーエンドであると願っていますよ!😭😭
「神楽し編 其の壱」ではこの物語の起源が描かれるのか、それとも順当に猫騙し編の沙都子側の視点を描くのか…
前者は、私目線では「これを語れるのが羽入しかいないのでは?」と思っているので、ここで入れるのは難しそうだなぁとは思います。
梨花は大切な記憶を全て忘却していますので。
そして後者なのですが、もしも「猫騙し編」が全て梨花に”だけ”見せられた夢で、最後ストレートに殺されてしまっているのなら。
死の直前の記憶の修復が「一時的」とされていたこと+梨花の記憶媒体の役割も持っている羽入の残り香の消失と合わせて、あの平和だった世界の記憶を忘れてしまった状態で、梨花は次の世界で起き上がるという可能性も残されているのですよね…
月曜日の先行カットでどこまで展開が読めるかわかりませんし、本当にこの先どういう動きをしていくのか曖昧なままです。
多くの人が、業と卒は必要な物語であったと納得できるような最後であってほしいと思います。
それでは、また次回!!
ありがとうございました🌸