つきのひかり(ひぐらし 業/卒/巡 解答と考察ブログ)

ひぐらしのなく頃に業/卒/巡の解答あげて挑戦したいブログ「鬼狩柳桜を永遠に心に禁じなさい。」©2020竜騎士07/ひぐらしのなく頃に製作委員会

『縁結びの神様』ひぐらしのなく頃に業/卒 本気で解答してみる 「祭具殿の扉を開けた人物」

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はじめに

閲覧ありがとうございます!

月詠🌸 (@higurashi_moon) | Twitter と申します。

ひぐらしの記事もこれで4本目でしょうか。だいぶ書き慣れてきた気がします。

今回は「羽入うううぅうううぅぅうぅぅ」って感じの内容になっております。

 

きっと10分くらいで読める文量ですので、ぜひぜひ最後までお付き合いいただけたら幸いです!

 

 

 

前提


本記事は以下の自分の解答をベースにしています。
主にゲーム版のカケラ紡ぎL6:禁宝「鬼狩柳桜」の内容を解いた上で考えてます。

 


 

古手梨花=オヤシロさまの生まれ変わり=オヤシロさま像

もちろん梨花ちゃまが木造という意味ではなくて、、梨花の状態とオヤシロさま像がリンクしているという意味です。


原始のオヤシロさま像(信仰)
諸悪の根源。人間性善説を土台としていた時代、悪い出来事は全て神の御業(=オヤシロさまの祟り)とする考えによって生まれた。


現代のオヤシロさま像(信仰)
慈愛の存在の神格化。人と鬼(他者に罪を求める心)が融和した状態。


鬼狩柳桜
慈愛の心そのもの

 

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オヤシロさま像の変化のイメージ図です…笑

鬼狩柳桜を永遠に心に禁じなさい。

(慈愛の心を持ち続けなさい。)

という桜花さまの教え。




結論


郷壊し編其の参 1988年(昭和63年)の雛見沢において、

祭具殿の扉を解錠したのは羽入

 

 

 

 

 

1.「信仰は消え」の意味の再考

 

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一部抜粋してまとめたものです





 

今までの私は、祟りなど無いと梨花によって宣言されたことによって

若年層を中心に半強制的なオヤシロさま信仰から解放されたことを「信仰が消えた」と思っていたのですが、ゲーム版をプレイしていく内に高齢者世代は連続怪死事件の前からかなり根強い信仰心を持っていることがわかり、神無月だからといって人の信仰が無くならないように、梨花が雛見沢から離れたからといって高齢者世代のオヤシロさま信仰も消えるとは考えにくい。という結論に至りました。

 

これは明らかに私の勉強不足だったので反省しており、、つまりは鬼狩柳桜の文章の中の「信仰は消え」の部分の解釈を改める必要があるということになったため、再び考えてみることにしました。

 

 

その結果、どういう解釈になったと言うと…

 

ここでいう信仰とは、雛見沢全体のオヤシロさまへの信仰を指しているのではなく、あくまでも梨花を構成する心のこと

現代のオヤシロさま像である「慈愛の存在」の部分、つまりは「慈愛の心」がオヤシロさまの生まれ変わりである梨花から"消えてしまった"から鬼狩柳桜が姿を現した。

(郷壊し編其の参では角として表現されたが現実世界では埋まっていない可能性が高い。所謂「幻想描写」。)

 

本編において人に罪を求める行為というのは、以前の記事でもお話した通り

祭囃し編で鷹野を敵と認めてフルボッコにしたこと」と

「郷壊し編で沙都子の心を汲み取らずに突き放したこと」。

 

 

 

 

2.羽入の行動とその理由

 

信仰の意味が前述の通りになるとすると、祭具殿の扉が開いていたことは

"おかしい"とハッキリ言い切れるようになります。

 

ここで、祭具殿の鍵を持っている人は誰なのか再確認すると「古手家の人間」のみ。なんですよね。

 

どっかの誰かが古手家に忍び込んで鍵を盗んだとか、富竹みたいに鍵を裏技で開けられる人がいるとか、様々な意見が出ているポイントだとは思うのですが、強い動機があるかどうか等の理由からそれらは考えにくいと思います。

 

祭囃し編1回目から続く郷壊し編1回目の世界では、羽入は実体にも霊体にもなることができます。

時間を巻き戻す力については「弱まっている」と羽入の口から説明がされましたが、この実体化については力を消費するとか、そういった話は明確に語られていません。

となると、羽入はこの世界の中であれば都合よく消えたり、実体化して物を触ったりすることができると考えられます。

(一番わかりやすい例でいうと、心癒し編では実体と霊体を瞬時に切り替えている描写があります。純粋な竜騎士先生原案のお話です。電子書籍もあるのでぜひ読んでください超おすすめです😭)

 

祭囃し編をクリアしてからそう経たないうちに、羽入は梨花の元から去ったらしいのですが、改めて考えるとやっぱり不自然です。この辺りも再考ポイントです。

羽入自身も、部活メンバー達との楽しい時間を望んでいたはずなのに、どうしてすぐに消えてしまったのか。

それは、この雛見沢という世界から「誰かのせい」にする心が弱まったからと考えられます。

5年目の祟りが「起きなかった」。敵と認識していた鷹野が「雛見沢から去った」。

 

加えて、ようやく手に入れた幸せな時間だけれど、羽入だけは罪悪感が残っていたのだと思います。

梨花と羽入はもちろん、共通して繰り返したいという意思を持っていました。

同じ意思だったからこそ、繰り返しは成り立っていたわけです。(皆殺し編に記述あり)

 

しかし羽入の心情としては、自身の梨花と少しでも長く一緒にいたい」という夢を梨花に押しつけたせいで、梨花の心が歪んでしまったこと。

その罪を背負ったままみんなと仲良く遊ぼうだなんて、許されることではないと。そう思っているのではないかと感じるのです。

 

それに加えて、ある種の危機感も抱いていました。

梨花が仲間と力を合わせ昭和58年6月を乗り越えるために、他者に罪を求める愚を犯したからです。

古手家に伝わる禁書によれば、それはこの世界が鬼の世に戻ってしまうということ。

それでも、仲間と共に奇跡を起こしてくれた梨花なら、きっと大丈夫じゃないかと信じる気持ちもあったと思います。

 

しかし、羽入の願いは通じることなく、結果として梨花の夢を沙都子に押し付ける事になってしまったため、梨花と沙都子が進学したルチーア学園にて状況は一変。

通じ合っていたと思われた2人の心は徐々にすれ違い、遂には梨花の行動が沙都子を深く傷つけるような結果に。

(※一応補足しますが、どっちが悪いみたいな話をしたい訳じゃないですよ。)

 

 それを観測した羽入は、その梨花の心情の変化に呼応する形で再び雛見沢に姿を現します。

自分が繰り返す者としての力を梨花に使ってしまったせいで、彼女を苛んでしまったことを改めて悔やみます。

ならばと、梨花の繰り返す者としての生を終わらせることを決意します。

梨花を苦しめた責任は自分にある。古手家の禁書の通りであれば、この身ごと罪を葬れば人の世の鬼を祓えるはずだと。

そうすれば、もう梨花が世界を繰り返すことは無い。

でも、本当にそれだけで梨花は救われるのだろうか?この身を捧げるだけでは、梨花の心は何も変わらないのです。

 

 

そう考えながら、羽入は古手家に存在する祭具殿の鍵を手に扉を開け、御神体の頭部を外して中を確認する。

しかし、剣なんて存在しなかった。禁書に記されている通りだった。

 

 

娘に自身を討ち取ってもらおうなんてできない。

仮に私がそれを望んでも、梨花が頷いてくれるとはとても思えない。

 

だとしたら、この古手家に伝わる数々の禁書はいったい何を伝えようとしているのか。

千年もの間、鬼狩柳桜という名の剣を見た者はいないことに、改めて違和感を感じざるを得なくなる。

 

 

そして再びその意味を考えていくと、やがて鬼狩柳桜の正体に気づく。

 

 

 

 

3.「ごめんなさい。」

 

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そもそも繰り返す者を殺すことができる剣である。

なんて説明は、『禁宝「鬼狩柳桜」』の中に記載されていないんです。

 

では、この繰り返す者とは一体誰のことを指しているのか…

 

ここまで来れば答えは一つ。羽入のことです。

 

 

 

梨花には惨劇の起こらない、笑顔に溢れている世界で生きて欲しい。

そのためには、完全な世界が必要です。梨花だけではなく、みんなの幸せのために必要な世界です。

 

そこで思い出すのが、梨花との100年の旅で気づいた「記憶の累積」 です。

直近の別の世界では、圭一やレナを中心に時折他のカケラの記憶を思い出して、思い止まることがありました。そして、みんなと相談することによって仲間の誰も惨劇を起こさない世界が生まれた事もありました。

 

それを信じるのであれば、あと少し記憶を蓄積させることができれば、より完全な世界に近づけるのではないか?

あの鷹野の意思でさえも変えてしまえるのではないか?

 

だとしても、またあの昭和58年を誰が繰り返せというのか。

そう考える内に、1人だけ自身の願いを託せるかもしれない人物に辿り着きます。

 

 

 

沙都子を通じて梨花の心の鬼を、を討たせるのです。

 

 

 

 

羽入は梨花が幼い頃にその存在を生み出してからずっと、沙都子のことも見てきました。

梨花の小さい頃からの親友で、衣食住も共にしました。

100年の旅の中で梨花の心を癒し続けてきたのも沙都子でした。

 

 

羽入の夢(梨花を救うために諸悪の根源である自身を討たせたい)

 

沙都子の夢(梨花と一緒にいたい)

 

 

2人の夢を融合させることを考えます。

 

しかもこの二人、しっかりと心の共通点があるのです。

沙都子が「郷壊し編1回目」のエウアと出会う前の時点では、現状を招いたのは梨花のせいではなく、自分のせいだとしているんです。例の独房でのシーンですね。

そして羽入も、梨花の心を壊したのは自分のせいだと思っているのです。

 

最終的な目的は真逆であるものの、過去を悔やむ気持ちは同じであったと考えられます。

 

しかし、これは梨花だけでなく沙都子の心も壊しかねない非常に危険な選択です。

いわゆるハイリスクハイリターンで、羽入・梨花・沙都子の中で、たった一人でも内に秘める本当の願いを手放してしまうものなら、途端にバランスは崩れ、最高のハッピーエンドは二度と訪れない可能性があります。

まさに三つ巴の関係と言えます。

 

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一か八かの賭けです。でも、羽入が梨花と沙都子を、そしてみんなを信じているからこその決断なのです。

 



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梨花鬼狩柳桜という名の神剣があることを伝えた理由は

 

梨花にそんな剣は存在しないと認知させる

無いものを教えるということは別の意味があるのではないかと気づかせる

 

ということではないでしょうか。

 

 

4. 羽入+鬼狩柳桜=エウア

 

前項で、羽入は自身の夢と沙都子の夢を融合させることを考えたと書きました。

 そうなると、エウアって羽入と鬼狩柳桜を足した存在なのではないか?という考えに至りました。

こうであるならば、羽入の角がなぜ欠けているのかも、よりハッキリと説明ができるのです。。

 

 

昔、梨花と沙都子がかくれんぼで遊んでいた時、沙都子が祭具殿に侵入し、事故でオヤシロさま像の右腕を壊してしまったことがありました。

あくまで私自身の解答ベースであることを今一度ご理解いただきたいのですが…

私はちょうどこの時に「羽入」は生まれたと思っていて。「猫騙し編~卒」の記事にも書いたと思います。

梨花が父親に祭具用のクワで叩かれたことを、自分がオヤシロさまの生まれ変わりだから叩かれるんだ、オヤシロさまのせいだ!と決めつけるシーンです。

 

事実、梨花にとっては本当にわけもわからず叩かれているだけなので仕方のない事なのですが、、梨花の父親目線で言えば、子どもが入っていはいけない場所に入ったから叱っているだけ。なんですよね。子どもの犯した間違いを正すことは、親として当たり前のことです。

愛する子どものための行動のはずが、事実を誤認したことによってすれ違ってしまっています。

 

 

さて、ここで冒頭でご紹介したこの図をもう一度見ていただきたいのですが… 

 

 

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まさに当時の祭具殿での出来事って、この図の通りのことが起こっているんです。

 

更にはこれを後押しする面白い説があります。「古手家隠れキリシタン説」というのですが…私はこれを非常に推してまして。

 

(※以下リンク先はワテ茶さんのブログです!)

 

 

 

 

突然、ひぐらしと関係の無さそうなところに行くなと思うかもしれませんが、古手家について考えてたら本当にキリスト教に辿り着いたんですよ。。こわい。

せっかくですし、自分の考えを後押ししてくれる要素としても、ここで新たなキリスト教関連要素を絡めてみたいと思います!

たぶん普通に説明するよりも絡めた方がわかりやすい

 

まずはこちらの引用から…

 

聖書によく「神の右の御手」ということばが出てきますが、これはどのような意味があるのでしょうか。

聖書に頻出することばで、とくに詩編に多く出現します。(18個所)

一般的にわたくしたちの利き手は右手であり、このことから、これは「神の全能(the omnipotence of God) 」
(神の義、愛、神ご自身と その力のすべて)を表す比喩であり、さらに、天における神に次ぐ場所で伝統的に
名誉ある場所を示し、 イエスキリストの占めるべき場所とされています。

 

https://www.nishikobe-kyokai.or.jp/chfaq/chfaq00097.htm

 

この通りであるならば、オヤシロさま像の右手の欠損は愛の欠落した不完全な神を表します。

 

愛とは、鬼狩柳桜(慈愛の心)のこと。

不完全な神とは、羽入(諸悪の根源)のこと。

 

 

では、オヤシロさま像の右手を治してあげましょう。

 

 

不完全な神様の身体を融合させると‥‥。

 

 

現代のオヤシロさま像(慈愛の存在)になるではありませんか!

しかも、右手があるのだから

神の力の全てを持っている完全なる神です!

完全なるオヤシロさま像です!

 

 

角が欠損していない、完全な角をもつ神様???

それって、慈愛の心の象徴であるエウアのことじゃあないですか・・・・・・・。

 

 

エウアが梨花の100年のカケラを所持していたのも、羽入が元になっているのだから当たり前ということになります。

今までは不完全であったために梨花が体験したことまでしかわからなかったけれど、鬼狩柳桜と融合したことで完全体となり視聴者視点のカケラを操れるように。

まさに、全知全能の神ですね。

 

 

 

そうなると、このシーンの光る角の意味は「角が鬼狩柳桜によって修復されている」ということになります。

(9/1 追記 今思えばここ今の考えと逆ですね…鬼狩柳桜による傷が治る事で修復されている。つまり、鬼神として完成されようとしている。

投稿当時は逆に考えてましたよ…ということで。)

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再び登場



 

 

 

祭具殿の前へやってきた沙都子に対して、夢を見させる形でカケラ世界へ誘い、沙都子の心を参照して、鬼狩柳桜の象徴としての完全な神の姿を生み出させたのです。

 

 

 

「結局お前が黒幕かよ!」ってなっても大丈夫です。

それはそれで原始のオヤシロさま像としても正しい解釈になるので、何も間違ってはいませんから…。

 

 

 

おわりに

 

 正直、1つの事柄に対する再考だけでこんなに広がって、繋がっていくとは思いませんでした。。

後残すは、ラスボス「雛見沢症候群」についての深堀りでしょうか。

 

いや、きっとまだまだ考えるべきことはあるのでしょうが、私が見つけられていないだけなのかもしれませんね。

 

 

ご覧いただきありがとうございました~!!

 

 

 

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                                   ~完~