『私だって幸せになる権利がある。』ひぐらしのなく頃に業/卒 本気で解答してみる 「フレデリカの夢」
- はじめに
- 1.「私」と 「あなた」
- 2.Frederica Bernkastel(フレデリカ・ベルンカステル)
- 3.ひぐらしのなく頃に 第9話 「郷壊し編」
- 4.私だって幸せになる権利がある。
- 5.好奇心は猫を殺す
- 6.梨花とフレデリカの夢
- 7.壊れたカケラ
- 8.カケラ世界は宇宙構造モチーフ
- 9.梨花とフレデリカを時系列順に整理
- 10.?????
はじめに
閲覧ありがとうございます!
月詠 (@higurashi_moon) | Twitter と申します。
本記事も変わらず、私が書いてきた記事の内容をベースに考えたものです。
『夢は現に。』の内容をかなりブラッシュアップできたかなと思います。
以下は順番にお読みいただくのを一応おすすめしています。
ですが、気になったところからでも大丈夫です。たぶん。🙏笑
ちなみに祟騙し編の記事は、もはや恥ずかしいくらいにデタラメなのでたぶん読まなくて大丈夫です。解離性同一性障害の件はここからではありますが…。
さて、今回は「ひぐらしのなく頃に業 郷壊し編」が
正真正銘のひぐらしのなく頃に 第9話なのではないか。
というお話をしていきます。
最初は5000字くらいで終わるかと思っていたのに、考えていくうちに1つ、また1つと気づいていってしまっていつもの文量に化けました…すみません…
卒が全15話とのことで、ある程度煙に巻かれたりするだろうと覚悟してはいます。
それでも私の中ではこれで挑戦するんだという気持ちなので、最後までお楽しみいただけたら幸いです。
※ちなみに賽殺し編は第9話ではございません。
[353] 何とか筆の置き所が見えてきました。 投稿者:竜騎士07 投稿日:2006/11/13(Mon) 06:56
(中略)
新規シナリオ2本は、どちらも短編の読みきりシナリオです。ですので、第9話という位置づけではありません。
オフィシャルによるアンソロジーみたいな感覚で読んでいただければ幸いです。「賽殺し編」は、「祭囃し編」後の昭和58年夏の話です。第9話としてくれぐれも読まないように気をつけてください。あくまでも時間軸が「祭囃し編」の直後、というだけですので念のため…。
今回のキーワードは「猫かぶり」です。
猫かぶり
本性を表に出さないようにしておとなしく殊勝なふうを装うさま、猫を被るさま、などの意味の表現。
1.「私」と 「あなた」
Frederica Bernkastel の詩は、それぞれ複数の人物を当てはめて読むことができます。
例えば鬼隠し編の詩は
あなた = 梨花
私 = 羽入
も成り立ちますし
あなた = 沙都子
私 = 梨花
も成り立ちます。
祭囃し編の詩は
わたし = 羽入
私 = フレデリカ
などなど。
それを念頭に「ひぐらしのなく頃に 業/卒」の世界へ移ります。
雛見沢症候群の記事で示した通り、既に神の干渉が始まっていると考える大石による惨劇。
放送当時に賑わったこちらのセリフのイントネーションの違いにも意味を持たせられそうなので、真剣に考えてみることにしました。
一般に公開されているインタビューや、ひぐらしのなく頃に業のBlu-ray各巻に収録されているインタビューも拝見しましたが、本当に皆様熱量を持って制作に取り組んでくださっているということが伝わってきます。
4巻の美術チームのお話は大変興味深かったです。
そんな妥協無しの作品作りを信頼するのならば、キャラクター名のイントネーションの違いでさえも「意味のあるもの」「意図した演出」と捉えてみることは必要なのではないかと、改めて思ったのです。
本記事は、もしかしたら一部お説教っぽい内容が含まれているかもしれません。
けれど、きっととても大切なことを伝えるものだと思います。
「ひぐらしのなく頃に業/卒」の世界にもう一歩、踏み込んでみたいと思います。
2.Frederica Bernkastel(フレデリカ・ベルンカステル)
アニメのみご覧になっている方には、平成ひぐらし礼に一瞬しか出てこなかった気がするので馴染みがないかもしれません。
ゲーム版を遊ばれている方にとっては、各編の詩や「皆殺し編」の冒頭に登場するなど印象的な存在ですよね。
彼女については色々な考えが飛び交っていたりで掴み所のない存在かと思いますが、おおよそ古手梨花のループの影響で生まれた、自我を持ち、思考を持ち、自らの姿を持つ、本来の古手梨花とは別の存在。というのは共通の認識かなと思います。
私は私よ。フレデリカ・ベルンカステル。
古手梨花とフレデリカは全然別よ、そう信じてた人はご愁傷様ね。
年齢は、もう数えるのをやめちゃったわ。面倒くさいし。
え?オヤシロさまの正体は私だろうって?
くすくす、馬鹿、失礼ね。
オヤシロさまはオヤシロさまよ。この子にも挨拶させる?人見知りするのよこの子。
怖がりなんだから、あまり脅かさないであげてね?
…まぁもっとも、あなたの方が怖がり屋さんみたいだけどね。
くすくすくすくす…。
ビジュアルファンブックより
フレデリカとは別に、黒梨花と呼ばれている"梨花のもう一つの顔"とも言える存在がいます。
そしてもう一人いますね、小学生らしい振る舞いをするのが元々主人格だった古手梨花です。「にぱ~☆」の方です。
加えて、両者は梨花が意図して使い分けている人格であり、フレデリカとはまた仕組みが違うのです。
小学生の古手梨花が元々の主人格だとして、ループを重ねるたびに黒梨花人格が形成され、更にループをすると黒梨花人格がそこから更に解離を起こすようになり、やがて完全に別人格としてのフレデリカが形成されていく。
といった流れです。
フレデリカのような完全な別人格というのは、記憶を他の人格と共有していない事が多く、共有するためには頭の中で会議のようなものをする必要があるのだとか。(祭囃し編の羽入と梨花みたいですね。こっちはイマジナリーフレンドだと思ってるので実際はちょっと違いますが…。)
また、主人格とは別の名前を持っている場合が多く、互いをたとえ認識していたとしても、それぞれ別の人間だと思っており、こんな事があったんだと話されても、体は同じなのに自分の事だとは思えないようです。
よって、記憶の共有は以下のようになっていると考えられます。
フレデリカ → 記憶は独立(カケラの閲覧はできるのでほぼ全ての出来事を記憶)
2人の梨花とフレデリカの間で記憶の共有がされていない理由としては、羽入もフレデリカもカケラを紡いで理想の世界を作ったり、よその世界の人物に話しかけたりしていますが、カケラの中に生きている梨花はそれを知らないからです。
ちなみに、「フレデリカ」は「フルデリカ」から「ノ」を取った名前になっているというお話がありますが…
私の解釈だと、この「ノ」とは鬼狩柳桜ということになります。
慈愛の心を失ったのがフレデリカということです。描写もそのままですね。
3.ひぐらしのなく頃に 第9話 「郷壊し編」
「ひぐらしのなく頃に」の世界では、カケラを紡いだり積み木遊びしたりと
カケラで遊べる人物が2人います。
それが「羽入」と「フレデリカ」なのですが、今回は「フレデリカ」に焦点を当て続けていきます。
以下は祭囃し編にて、エンドロールが流れる直前の描写。
背景は灰色に変わり白文字で紡がれていきます。
以下は灰色のモノローグ全文です。
全てのカケラが紡がれ、完成された世界。
これ以上ない、理想の世界。
まだこれ以上、何を、あなたは望む?
古手羽入はまだ望む。
だって、もっともっと、私たちは幸せになれるから。
望んだ数だけ、幸せになれるから。
それは遠い未来のことじゃない。
ちょっとすぐ先の未来。
…ならそれは、いつ?
だから割と、すぐだってば。
私たちは、幸せになれるよ。
…ほら、
ここで画面がちらつき、暗転。
………不穏すぎません?
明るい未来を予感させるのであれば、この後は暗転ではなく明転になると思うのです。
灰色という背景色も、羽入とフレデリカの求める幸せな未来の結果がそれぞれ白と黒とで分かれており、入り混じって不安定な状態を表現していると読み取れます。
そしてそれは、黒に傾く。
ちなみに原作でも同じ表現です。
灰色のモノローグから、暗転。
しかもこちらのモノローグ、フレデリカの語りになっているのです。
言葉遣いが少々荒々しいのがポイントです。
さて、それでは羽入とフレデリカ、この結末に満足していないのはどちらでしょうか…?
比較してみましょう。私たちの知る「祭囃し編」と「郷壊し編」を。
①祭囃し編
②郷壊し編
…改めて文章を起こして比べます。それぞれ会話の順番通りに並べますね。
①祭囃し編
梨花「…あれだけ苦労した旅だったのです。…その程度の奇跡じゃ、ちょっと足りない気もしますですよ。にぱ〜☆」
羽入「あ、…あぅあぅあぅ…。…充分ですよ…。こんな奇跡、僕の身には…充分すぎて…」
②郷壊し編
羽入「こんな奇跡、僕の身には…充分過ぎて…」
梨花「あれだけ苦労した旅だったのです。まだ足りない気もしますですよ。」
満足度が違うどころか「にぱ〜☆」も無し。
奇跡だという発言も無し。さも当たり前かのような振る舞い。
そして話す順番から考えても、羽入の発言を否定しているような印象を受けます。
この舞台を降りる覚悟を決めていた羽入を引き止める描写もありません。一緒にいてもいい証(銃弾)も描写されません。
ここが1つの大きな分岐点となり、羽入が眠りについた理由となります。
(自分の今までの解釈をちょっとだけ殴っておきます笑)
そしてその代わり…
まるで沙都子の言葉を否定するかのように、口を閉じる梨花。
(※なんと、口を閉じる描写はBDで無かった事にされました!w 表情はそのままに口は開いたままOPへ…)
沙都子は、繰り返す者である梨花と最も親しい者であったために、何となく梨花がどこかへ行ってしまうような気がしたのではないでしょうか。
祭囃し編に入り、舞台に上がった羽入と、舞台に上がれないフレデリカ。
カケラ世界に取り残され、”古手梨花”を俯瞰する。
羽入は舞台へ上がってしまったから、カケラ世界に住まうフレデリカの意思や行動を察知できなかったのではと考えます。
フレデリカであろうこの「私」は、他の世界に干渉することができています。
そして以下のように、カケラにもひびが入ったり、割れたり欠けたりすると自ら説明しています。
このように彼女は、壊れたカケラを繋ぎ合わせ、まったく別の運命を作り出しています。
欠けたカケラはもはや別の運命。
ということは、
カケラを直せるなら、壊すことだってできますよね?
壊してバラバラにしてから都合のいいものだけを繋ぎ合わせ、自分の「夢」が叶うようにと、祭囃し編とは似て非なる”都合のいい奇跡”を作り出すことだってできますよね…?
4.私だって幸せになる権利がある。
梨花のループの副産物として生まれた彼女は、カケラの中の”古手梨花”とは違い、幸せにはなれていません。
幸せな様子を眺めているだけです。
フレデリカは古手梨花ではない。けれども、古手梨花から生まれた存在。
じゃあ、私にだって彼女と同じように幸せになる権利があるじゃないか。
それを私が望んではいけないなんて、誰が決めたというのか。
"古手梨花"の幸せを見届けて、それで私も幸せになったとでも?
それで私が妥協できるとでも?
私だって、幸せになりたい。
私だって、夢を叶えたい。
5.好奇心は猫を殺す
イギリスのことわざ(en:Curiosity killed the cat)の訳。英語に「Cat has nine lives.」(猫に九生あり・猫は9つの命を持っている/猫は容易には死なない)ということわざがあり、そんな猫ですら、持ち前の好奇心が原因で命を落とす事がある、という意味。転じて、『過剰な好奇心は身を滅ぼす』と他人を戒めるために使われることもある。「好奇心は猫も殺す」などとも訳される。
「好奇心は猫を殺す」よく聞くことわざですよね。
そして赤字にした通り、猫は9つの命を持っているという意味も、ちゃんと「ひぐらしのなく頃に 業」で表現されているのです。
では、数えてみましょう。
①郷壊し編(沙都子と心中)
②鬼騙し編
③綿騙し編
④祟騙し編
⑤猫騙し編(赤坂)
⑥猫騙し編(茜)
⑦猫騙し編(公由)
⑧猫騙し編(圭一)
⑨猫騙し編(沙都子)
きっちり9回殺されて、その9回目で沙都子によって梨花は罪に気づかされ、改心します。
つまり、猫であるフレデリカは9回目で死に、本来の梨花が戻ってきたということなのです。
幸せは求めるものではなく、気づくもの。
そして…
罪は人に求めるものではない、自分で気づくこと。
羽入はこれらを伝えたかったのだと思います。
TIPS鬼狩柳桜からも読み取れる、オヤシロさまの教えと
繰り返される世界の中で、圭一達が気づいた大切なこと。
これらに類似性を感じずにはいられません。
6.梨花とフレデリカの夢
フレデリカが死んだ後に見たモノクロの映像、これが本来の古手梨花が過ごした時間の記憶と、抱いていた夢の記憶です。
業の時系列的にも、沙都子の手によってフレデリカが死に、主人格の「古手梨花」に統合されたのだと考えられます。
シャンデリア心中に至った世界では、羽入の残り香の力によって記憶は保持されています。
しかし、古手梨花とフレデリカはそれぞれ独立した記憶を保持しているはずです。
なのに、沙都子と本屋に行き、聖ルチーアへの夢を語るシーンだけが重複して記憶されているのです。
つまり…
聖ルチーア学園への夢というのは、古手梨花も抱いていた。ということです。
しかし、それをどう沙都子に伝えるか、沙都子に対してどのような姿勢を示すか。
聖ルチーア学園に行きたいという彼女の夢に、2人でもう一度向き合わなくてはならないはずです。
2人には、本当の幸せを見つけてほしい。
7.壊れたカケラ
沙都子が梨花の100年のカケラの鑑賞をしているシーン、ここから"都合のいい奇跡"のために歪められた部分を垣間見ることができます。
そもそもの前提として注意していただきたいのが、カケラ紡ぎによって祭囃し編を始めるためには「鬼隠し・罪滅し・綿流し・目明し・祟殺し・皆殺し・暇潰し」これら全てのカケラが揃っていなければなりません。
そのため、郷壊し編で詩音が同窓会まで一度も出てこなかったのは「ねーねー化」していなかったからというのは絶対に有り得ません。
綿・目のカケラがなければ仮に皆殺し編のような世界に入っても、沙都子を救うために詩音は現れませんし、山狗と対峙しても鷹野が銃を撃つまでもなくあっさり負けます。
沙都子のトラップも詩音のスタンガンもありませんから。
故に悟史が存在しない世界でもありません。
フレデリカはカケラ遊びによっていくらでも人の言動を歪ませることができます。
梨花の100年の記憶の閲覧、ピックアップされた内容を改めて見ると、みんなが教えてくれてた大切な事がたくさんあるのにも関わらず、梨花の心を折るための情報しか重要視していないことがよく分かりますね。。
誰が惨劇を起こすのか、誰が古手梨花を殺すのか、東京とは何なのか等々。
あまりにも真っ直ぐです。
■鬼隠し編のカケラ 1 (圭一・レナ)
圭一が悟史の話をしない。
レナも同様。
他はゲーム版と同じですね。
(※鬼騙し編でも触れられず”転校”の話が無かったのは、圭一の発症が梨花によって抑えられバッドを手に取る機会が無かったから。猫騙し編其の四の地下研究所の様子や詩音のねーねー化により、悟史周りは変わらず。
よって、綿騙し編の魅音のセリフ「地下祭具殿が使われたことは一度もない。」は圭一を怖がらせたくなくてついた嘘。)
■鬼隠し編のカケラ 2 (圭一・大石)
こちらはゲーム版と全く同じセリフ、進行です。
梨花の100年のカケラの中に、こうやって変化の無いものと有るものが分かれていますよ。というのを示したかったのでしょうか。
■祟殺し編のカケラ
圭一が沙都子を見つけていないのかと思いましたが、そもそも沙都子に突き落とされて無いと時間経過が発生しないため、これはたまたま学校に行かなかっただけ。
と思ったら、圭一が無傷っぽいんですよね。これってしっかり矛盾してますよね。
なお、この部分は梨花にとっては死亡後の世界のため古手梨花自身の記憶内容とは直接関係がない。
あ、もしかして、関係がないからめちゃくちゃでいいってことを表したかった???
そう言えば、祟殺し編のお祭り後の内容を別の世界で思い出したことって無かったような気がします。
鉄平を殺すことがなければそもそも発生しないイベントですし。
…もう少し考えてみました。
場面移って、「郷壊し編 其の六」の罪滅し編のカケラを見ると、こちらも何故か元々は学校の校舎内でのイベントのはずなのに、校庭で起きているんですよね。
同じセリフ同じ挙動なので、記憶の蓄積が進んでいるとも思えないシーンです。
これとルチーア1回目のルートを照らし合わせると、部活メンバーの雛見沢分校への興味が薄れていたことの示唆と言えるのではないかと思いました。
学校から心が離れている。と言えばいいのですかね。
■皆殺し編のカケラ 1 (鷹野・山狗・富竹)
富竹のセリフから考えて、「東京」にいる人間が昭和58年6月の監査で雛見沢症候群の研究中止を命じていないのかと考えてしまったのですが、冷静に考えてみればそういう話ではなさそう。
そもそも小泉先生の死がきっかけでその後の風向きが変わり、東京の人に自身とおじいちゃんの研究を踏みにじられ、「雛見沢症候群の撲滅まで頑張ってもらうが、その後論文を世に公表することはない。」と東京に言われる。そういった経緯があって初めて野村の話を受け入れるはずなので、ここが変わってしまってはダメだと思うのです。
ということは、鷹野の心が少しマイルドになっていて、富竹に対する当たりが弱くなっているということ…?
そういえばフレデリカさん、上の方にも貼りましたけど、鷹野が富竹にゾッコンなカケラに興味があるとか言ってましたね…。まあ、今のところゾッコンってほどでもない気がするのでこのカケラもこれ以上大きな意味は無さそうに思えます。
鷹野失踪、富竹死亡について。
あまり変化のないシーンに思えるのですが、「東京の皆さんも調べられています。」が無い。
とはいえ、その後H173の話の流れで東京の名前を出しているので、やはりこれも大した意味はなさそうではあります。
H173の存在を気にしていたのでしょうか?
梨花と羽入が夜中に会話するシーン。
ここはもう明らかですね。
本来の祭囃し編では同じ部屋で沙都子が寝ているはずなのに、いない。
窓側に梨花と羽入の布団が描かれていれば沙都子いるかも?と思えるのですが、それもないですね。
沙都子という存在の大きささえも、捻じ曲げられてしまっているかのようです。
この二編は鷹野の計画を滅茶苦茶にしてしまうトンデモなカケラですが、この経験がなければそもそも祭囃し編は生まれないので、存在しないということはありません。
詩音が悟史くんのセリフを大切にしているのは、あの惨劇を経ての気づきなので、それが無くなったらダメ。
しかし、郷壊し編については少し違います。
郷壊し編 其の壱から始まるルチーア1回目の世界では、ルチーア絡みなのに詩音が割り込んでこない事と、魅音にいたっては昭和59年の綿流し祭にさえ帰ってこないという疎遠ぶり。
この一連の流れに綿流し・目明しのカケラが無いのは、この"都合のいい奇跡"のために、一時存在を消された事の示唆なのだと思います。
6/22追記
「綿騙し編」にて圭一が人形を渡す相手を迷っているという事実と、詩音が「ねーねー化」しているという点から考えて
沙都子は「目明し編」のカケラは体験したけれど、「綿流し編」のカケラは読むだけで体験はしていないのではないかという結論になりました。
沙都子が綿流し編のカケラを体験しない理由としては、綿目のカケラは共通して詩音が発症して暴走するカケラなので、その仕組みを解明するにあたって綿流し編を理解する必要がないからなのかなと。
8.カケラ世界は宇宙構造モチーフ
突然規模が大きくなりますが、絶対的にイメージがしやすくなると思いますので
先に軽く宇宙のお話をしていきたいと思います。
以前の記事で多重夢構造になっているというお話はしましたが、今回のはそれをより分かりやすく、そしてブラッシュアップしたものです。
ひぐらしのなく頃に業の世界において、世界は全部で4層あると考えています。
それが以下の画像の通りです。
(ユニバースサンドボックス楽しい!頭の中だけでカケラ世界動かすのは気が狂いそうだったので助けてもらいました笑笑)
それぞれ左上から順に…
【宇宙】
①沙都子のカケラ世界で眠って見ている夢の世界(銀河から離れて何もない空間)
②沙都子のカケラ世界(銀河系の側面から入り、各惑星系[太陽系等]を見ているイメージ)
③梨花のカケラ世界(惑星1つ1つを見ているイメージ)
④○○○編(惑星に降り立つ)
【ひぐらしのなく頃に業】
①シャンデリア心中〜用水路
②100年視聴後〜各騙し編
③羽入「ここは数多ある世界を繋ぐ、カケラの1つです」
④ひぐらしの各編舞台上
完全に宇宙モチーフで考えるのならば、カケラの動き方等にも理由づけができます。
例えば、梨花のカケラ世界に浮かぶカケラたちは、それこそ上の画像で言う太陽の周りを「一定方向に」公転し続けるように動かされている惑星そのもののようで、イメージと一致します。
沙都子のカケラ世界に浮かぶカケラたちも、1つ1つが惑星系のイメージなんですが、結局それらも、銀河の中心にある超重力のブラックホールの回転がそれらを公転させているので、こちらもイメージと一致します。
また、各々のカケラ世界の光の帯は、ちょうど上に貼った宇宙の画像の右上ですね、こちらと結構似ている事がわかるかなと思います。
これは書いた通り、銀河系を横から見た図です。
沙都子が梨花より外側に位置するというのは、色勾配で補足できなくもない感じです。
なんでそんな曖昧な表現をするかというと、黄色の星はあるのですが、紫色の星というのはまずないのです。
外側に行くほど青くなるけれど、緑や紫は色温度を紐づけられないのです。
黒体放射だの、スペクトル分類だの、そこら辺が絡んでくるので詳細は割愛させていただきますが…。興味があれば見てみてください。宇宙は良いぞ。
さて。このように考えていくと、卒のPVで一瞬映ったこの映像も説明ができます。
他にイメージしやすそうな話をするならば、今これを見ているあなたが住む世界が、もしかしたらどこか別次元に住む自分が描いた世界の一つでしかなくて…というのはどうでしょうか。
というわけで、沙都子はカケラの中に映る梨花が"ランダムに"選択したカケラの中身を見て、それからそこに飛び込んでいることになります。
全てのカケラの中の梨花は、羽入の残り香の力によってシャンデリア心中の世界の記憶を引き継いでおり、そして必ず最初にカケラ世界にて起き上がります。
そして「鬼騙し編 其の弐」のように、羽入の残り香と全く同じ会話を交わします。
カケラに入った沙都子が梨花の後に死ぬことで、次のカケラに沙都子が入った時その世界の梨花の記憶がアップデートされます。
沙都子は何編に入るかを間接的ではあるものの自ら選べるので、鬼騙し→綿騙し→祟騙しと順番に渡ることが可能になります。
小学校の制服でカケラ世界に降り立っている古手梨花が映りますが、彼女が最後に主人格でいられたのは小学生時代までであると考えられます。
そのため、その人格がどこで"死んだか"によってカケラ世界で服装が分岐していると考えます。最後の記憶がどこで途切れているのか。ということです。
一応、これと関連性があるシーンが沙都子側にもあります。それがこちらです。
カケラは各編の舞台上で繰り返す者が死んだときに生成され、その死んだ時の服装がカケラ世界に引き継がれるはずでした。
にも関わらず、このシーンはカケラが生まれたのに沙都子の服が変化していません。
ということは、この時点での沙都子は完全に本来の沙都子と赤目沙都子で人格が分かれてしまっており、白沙都子が舞台に降りている間赤目沙都子はずっとカケラ世界にいたということになります。
別人格の舞台上での死亡時の服装は、カケラ世界で目を覚ましている人格には引き継がれないのです。
9.梨花とフレデリカを時系列順に整理
上記諸々を踏まえた上で、郷壊し編から猫騙し編までの流れを書いていきます。
キャラの心情についてはもっと上手く表現できたら良いのですが、なにせ物書きでもなければ語彙力も乏しいので雰囲気で感じ取ってもらえたら…←
①ルチーア1回目 昭和58年(小学校6年生)
幸せを求めたフレデリカが、祭囃し編のカケラを壊して黒梨花に芽生えていた外への憧れが叶う"都合のいい奇跡"を作り出す。
そうして「郷壊し編」が誕生。古手梨花が持っていた奇跡の力がルチーアへの道を勝手に開いていく。
(例:沙都子の症候群完治・ルチーアなのに詩音が止めに来ない・悟史の件は誰も言及しない・村八分問題も楽々クリア)
けれども沙都子の行動が予想外だった。100年のループを経て一緒にいるのが当たり前になってしまったこと、複数世界に生きてしまったがために沙都子は"こういう人間だ"という
昭和63年(高校2年生)
同窓会。沙都子は雛見沢に留まり、異変を察知した羽入がおかしくなった世界と梨花・沙都子を見て、自身の「梨花ともっと一緒にいたい」という夢が2人を不幸にしたんだと悔やみ、自身の存在を古手家の禁書の内容に沿って沙都子に討たせるため、再び舞台上へ。
やがて祭具殿の前にやってくる沙都子。「自分のせいだ。」「やり直したい。」という2人の夢が共鳴し、沙都子のカケラ世界にエウアが登場。(※羽入+鬼狩柳桜=エウア)
梨花の沙都子への想いがゼロになったという事ではなく、心の底では常にその存在を求めていると思われるため、梨花は沙都子のいない世界を”選ばない”
だからこの昭和63年の世界という夢は覚める。羽入が梨花のカケラ世界にいないためカケラとして残らないので、この世界から梨花の精神は離脱。
皆殺し編突入の段階で大元の古手梨花人格は既に死んでいると考えられること、加えて沙都子もこの世界に戻ってくる理由が無いので、梨花も沙都子も眠ったまま二度と目を覚まさない。
(※ちなみに賽殺し編では元の世界を選んで帰ってくるまでの時間、元の世界では1か月ちょっとの間ずっと眠っていた。夢の世界の1日が元の世界での約6日に相当する?)
ここでフレデリカ人格も含めて梨花の精神は梨花のカケラ世界に放り出されるが、もちろん羽入がいないため記憶は残らず、祭囃し編以降をすべて忘却。皆殺し編の後、カケラ紡ぎ前の状態に戻る。
平成ひぐらしでは、皆殺し編が終わっても梨花のカケラ世界は存在し続けていた。
しかし、今回はエウアの力によって梨花のカケラ世界に存在していたカケラは全て、一時期的に沙都子のカケラ世界に移動。
その影響で梨花のカケラ世界にフレデリカは例えどのような意思を持っていたとしても、自身の手で新しい世界が作れない。カケラ遊びができない。
彼女は真っ暗闇の中に一人、ただ存在するだけ。
(※ちなみに「ひぐらしのなく頃に業」世界の各騙し編で梨花が皆殺し編の記憶を持っているのは、フレデリカ人格が宿っているから。彼女は羽入のようにカケラ世界でカケラ操ることができ、皆殺し編の中身も把握している。この辺りはちょっと無理矢理な解釈のままでいたので、これでようやくスッキリした感じがします。)
②ルチーア2回目(小学校6年生~高校1年生)
今度は沙都子のカケラ世界の中で、フレデリカが壊したカケラを使ってエウアが「カケラ紡ぎ」を行い、沙都子の願いの通りルチーアルートに繋がっている「祭囃し編」→「郷壊し編」を再演。
そこに引っ張られる形でフレデリカも舞台に上がる。
当然フレデリカには祭囃し編以降の記憶が無いので、本体の梨花もルチーア1回目と同じような行動をとる。
沙都子の変化にももちろん気づかない。比較材料が無いので。
そしてこちらもセリフにフォーカスを当てていくと…。
梨花「嬉しかったのですよ。沙都子が本心を打ち明けてくれて、嬉しかったのです。
約束するのです。ボクは沙都子を一人にはしないのです。
沙都子が困っているときは、親友のボクが必ず助けるのです。
だから、ボクを信じて、聖ルチーア学園を目指してほしいのです。」
別にいつも一緒にいるとは言ってない…。困っているとき”は”…?
親友という言葉が建前のようにも感じます。
沙都子が大事なのではなくて、沙都子と”親友”であることが大事だと思っていそうな雰囲気。
どこか別作品にそういうキャラの人いるよね…(私たち親友でしょ?)(親友の私が助けて差し上げますわ!)
それに、沙都子と一緒に過ごすことよりも、ルチーア学園に入ることそのものが第一優先のように受け取れてしまいます。
こちらは次の③のセリフと比較することをおすすめします。
③シャンデリア心中後(中学校1年生)
元居たカケラ世界の一つ上の層に移動(※多重夢構造)
沙都子がエウアの力で【トラック〜用水路】の連続自殺の夢の間、梨花の100年のカケラは沙都子のカケラ世界に留まったまま。
上記の沙都子の夢の中の梨花は、フレデリカだったり古出梨花だったりします。
あくまでもフレデリカはカケラの外側から干渉する存在であるため、梨花のカケラ世界の1つ上層に存在する沙都子のカケラ世界のカケラには基本的には干渉できないはずなのですが、エウアさんの左手と右手、どちらがカケラに触れたかによって明確に変化しています。
自身の右手側にカケラがあるのに、わざわざ左手で触れているシーンがあるのです。
左手と右手の意味については、調べていただけたらわかると思いますので説明は省略しますが…「不浄の左手」とかそういった絡みです。宗教関連で検索してみてください。
(※不浄という言葉、猫騙し編 其の参で沙都子が使っていたりします。 )
ひぐらし向けに変換して簡潔に表しますと、左手で触れた先は「フレデリカ」。右手なら「古手梨花」です。
ということで、梨花が本音を語っているシーンとそうでないシーンを分けていきます。
まずは【トラック】の本屋さんにて。
セリフの違いに注目すると…
梨花「ずっとずっと、ボクには内緒にしていた夢があったのです。そしてそれを、沙都子と一緒に叶えたいのです。ハイソサエティな学園で、沙都子と2人で夢のような毎日を…」
梨花「大丈夫なのです。親友のボクがずっと一緒にいるから、大丈夫なのです…入学してからも、ずっと親友として一緒にいて、沙都子をひとりぼっちにしないと、約束するのです!」
「お生憎様ね…どっちも選べない!だって私、その両方を掴むんだもの!」
シャンデリア心中の世界よりも、”沙都子と2人で”頑張りたいという意思や「掴む」というかなり前のめりなセリフに変化しています。
あの世界では、一度は置いていこうとしていたはずなのに。
続いては【包丁】です。
こちらの世界を覗く前にエウアさんが左手で触れています。(※先ほど貼ったシーンです。)
なのでこの梨花はフレデリカです。以下比較していきます。
まず、両者の無意識下での違いがこちら。
沙都子への矢印の強さの違いが表れています。
沙都子の無限の準備期間は基本的にどのカケラに行ってもフレデリカなのですが、「郷壊し編 其の六」の鉄平とのやり取りのカケラは例外で、古手梨花です。
一旦脱線しますが、先にこちらの話をします。
まず、第一にカケラというのはその人物が思い描く、1つのIFの物語と解釈することができるのですが…(※解離性同一性障害→解離性健忘と繋がる先に作話があります。詳しくはこちらを→作話 - Wikipedia
エウアが沙都子に力を与えた時の描写を見ると、エウアは左手を沙都子にかざし、それに合わせてその時存在していたカケラが反応しているのです。
そして、鉄平とのシーンに入っていく繋ぎの描写がこちら。
沙都子が目を閉じ、沙都子の背面且つ遠くにカメラが移動し、我々の視界を遮るようにカケラが通っていくが何も映っていない。
もう1つ比較対象を出します。カケラを読むために、わざわざ目の前まで飛んでいく沙都子。
沙都子は目を開いたまま、対象となるカケラの正面に立つ。そこには映像が流れている。
このように真逆の動きになっているのです。
まだあります。北条家の状態と沙都子が小学生というギャップです。
まず、祟殺し編ルートで仮に鉄平が帰ってきたとして、2人だけでこれだけ傷んだ家を修繕するのは非現実的です。
また、夕飯の買い物でさえ後回しにされるのに、村から煙たがられている北条の家の手伝いをする人がいるとも思えません。
「さよなら、にーにー。」した沙都子にとっては北条家を守る理由もありませんし、そんな沙都子の心情が表れているようにも思えます。
以上から、この鉄平の一連のシーンは梨花の100年のカケラに入って分岐したものではなく、沙都子が0から生み出したカケラであるため、エウアの左手の干渉を受けていない。
沙都子はここまで来ても梨花の事を信じたいし、自分の方を向いていて欲しいのでしょうね。
さて、【包丁】でしたね。そこまで話を戻します…。
沙都子の期待とは裏腹にやはりルチーア学園への夢を語りだすフレデリカ。
梨花「そんな親友の沙都子なら、きっとボクの夢も理解してくれるのですよ。」
「沙都子にボクの夢を聞いてほしいのです。ボクは分校を卒業したら、雛見沢を離れ…」
…沙都子の言葉聞いてた?😭
親友の言葉を遮るように話し始める。
ルチーア1回目の広場でのやり取りと雰囲気が少し似ていますね。「黙って。」の所です。
次は【鉛筆】です。
もはや置いていく気満々なフレデリカ。
おかしいのは沙都子だと一蹴して、向き合おうとしない。
段階的に沙都子との距離を置くようになっています。
最後に【用水路】。
こちらはカケラの閲覧後のエウアの様子から、右手を使っていたことがわかります。
ということはここでは梨花ですね。
以下セリフ検証です。
沙都子「どうしてわかってくださいませんの!?」
梨花「わからない!ぜんっぜんわからないのです!」
沙都子「私がこんなにも梨花のことを想ってますのに!」
梨花「それがわからないって言ってるの!ボクのことを想ってるなら、どうして否定するの?なんで夢を認めてくれないの?!…この…分からず屋の沙都子!!」
沙都子「…分からず屋はそっちですわ!!」
【鉛筆】の時のように突っぱねたりせず、ちゃんと喧嘩してます。
セリフから考えても、お互いを理解し合いたいからこそ、ここまで発展したと読み取れます。
舞台は移り、姿も小学生に戻ります。
カケラ世界の足場がかなり崩壊していますね。
これは、本来の沙都子の心がかなり消耗していることを表していると考えられ、
「郷壊し編 其の七」ではより追い詰められている様子。
ここから考えられるのは、これ以上沙都子が繰り返してしまうとやがて自分で入るカケラを選べなくなるのではないか。ということです。
この世界では重力には逆らえていませんし、特定のカケラの目の前に飛ぼうとしても足場がなければ辿り着けないからです。
それがちょうど猫騙し編からだと思います。
梨花の100年には全く存在しなかったルートが続いていきます。
沙都子が既存のカケラを選べていない証拠だと思われます。
■猫かぶりにも限界がある
他にも細かいところで色々ありますが…祟騙し編が一番顕著に表れていた気がしますね。
以下は沙都子が吐くシーンの梨花です。
一枚目、耳塞いでますよね笑
賽殺し編の沙都子を椅子で殴るシーンが思い出されます。
■祭具殿の錠前について
「郷壊し編 其の参」と「猫騙し編 其の四」の祭具殿の鍵が同じタイプのものなのですが、これは錠前を破る必要のない世界の示唆です。鍵が要らないということです。
この2つの世界は共通して惨劇の起きない世界でした。
また、フレデリカはルールXYZに対して錠前という言葉を何度も使っています。
■アニメ版とマンガ版の差異について
どっちかが1周目説など存在していると思いますが、梨花と沙都子の精神状態の推移と、鬼狩柳桜の解釈から考え、私からは別の説を提示させていただきます。
ここまで読んでくださったのならば大体察しはつくかもしれませんが…
アニメ版が左手 マンガ版が右手 でエウアによって着色された物語です。
マンガ版を現在公開分まで通してみてみると、他のみんながシリアスな顔つきをしているのにも関わらず、梨花ちゃまだけやたらニコニコしているシーンが多いんです。
それに、沙都子を中心に仲間に対する冷たさもかなり軽減されていて、人を駒として見ている側面は少なからずありますが、それでもアニメより思いやりや強い意志を持って挑んでいる雰囲気があります。
「郷壊し編 其の伍」の自殺ラッシュの時点でさえ、どんな梨花であってもその言葉を受け入れることができず、その世界の梨花を捨て去ってしまった沙都子です。
更に精神の寿命が迫っている騙し編の時点では、もはや梨花の完全な改心以外には沙都子は納得できず、これくらいでは結果は変わらないということなのだと思います。
10.夢と価値
人生とは、常に自身の考える『価値』を追い続けることだと私は思います。
「夢」は達成してしまえばそこで無くなってしまうものだけれど、『価値』はそうじゃない。
『価値』とは、どういう自分でありたいか。誰と生きたいのか。そういった、死ぬまで消えることのない強固な意思のことを指します。
誰しも「夢」を持って生きています。例えば、「今の会社で役職持ちになりたい」などなど。
しかし、価値はこれよりひとつ上の階層に存在するものなのです。
『大切な人のために生きたい』
『世界で一番優しい人になりたい』
これらにはゴールが無く、死ぬまで常に追い求め続けるもの。
『大切な人のために生きたいから、今を頑張る。』
価値があってこその夢なのです。夢の先に、価値があるんです。
「ひぐらしのなく頃に業」の彼女は、夢は確かに持っていたけれど、価値を見失っていたのではないかと私は思います。
だから彼女は「夢」の続きを見れなかった。
10.?????
「…世界は君を許さないかもしれない。でも、それが何だってんだい! 僕が君を許すよ。だから生きよう。死ぬことは罪の償いにはならない。生きて償い、世界に許しを乞おう。そしてやり直すんだ」
「そうしたらきっと思い出せる。君が本当はどんな人で、…どんな風な笑顔を浮かべていたかをね!」
『私だって幸せになる権利がある。』ひぐらしのなく頃に業/卒 本気で解答してみる 「フレデリカの夢」 ~完~