『ひぐらし業/卒 考察』びっくり箱から考えるカケラ内の描写の矛盾について
はじめに
いつも閲覧ありがとうございます!
月詠 (@higurashi_moon) | Twitter と申します。
本記事は、「ひぐらしのなく頃に業/卒」が夢落ちであるとか、そういった結末になるという予測で書いているものではありません。
世界の外側がどうなっていようがひぐらしはひぐらしで、”たった一度しかない物語”。
そういう認識です。
うみねこもキコニア(Phase1)も一周しかしていませんので理解が浅いです。
そのため、記事の中で具体的に「キコニアのこのシーンとの繋がりが~」みたいな話はしませんし、できません。。
そして、もちろん私は学者ではないので数式を絡めた難しい話はこの記事には登場しません。
自分なりに本を読んだり調べたりして構築してみたものになりますので、予めご了承ください。
目的
さて。本記事は「量子」とかいうわけのわからないものと、今までの自分の解答を合わせ、ひぐらし業卒の違和感描写について更に考えたものです。
作中で強い印象を残している「びっくり箱」を中心に、話を広げていきます。
「綿明し編 其の参」まで放送された現在ですが、前回の記事でも示した通り、同一カケラ内でストーリーに矛盾が生じています。
これについて、楽曲や他「なく頃に」作品を(ふんわり)巻き込みながら書いていきますので、よろしければ最後までお付き合いくださいませ。
結論
同一カケラ内で2つの真実が同時に存在するように見えるのは、
「観測者」である梨花が、沙都子に生まれたもう一つの人格を認めていない(気づいていない)段階であり、真実が確定されていなかったから。
これは視聴者目線でも言えることで、猫騙し編 其の四の最後のシーンを「視聴」するまでは
沙都子が黒幕である可能性と、そうでない可能性が同時に存在していた。
梨花が沙都子の赤目人格を「観測」するのは同じく「猫騙し編 其の四」の最後。
ちょうどシュレディンガーの猫箱がモデルとなっている「びっくり箱」が開かれた時である。
沙都子視点の物語とされている各明し編内だけでも変わらず矛盾が生じているのは、表舞台で暗躍し続ける赤目沙都子の行き過ぎた行為(魅音殺害等)を、白沙都子が「私じゃない!」と否定し続けているから。
つまり、白沙都子は赤目沙都子の存在や行動を"認めていない"ということ。
(※エヴェレットの多世界解釈に近いです。)
そのために各惨劇の結果の描写は2つに分かれている。
鬼騙し編ではまるで「第三者犯人Xに梨花と沙都子が殺された」ように見せられたが、
実際に起きていたことは「梨花が自殺し、沙都子も自殺した」
綿騙し編では「第三者犯人Xが沙都子と魅音を殺したか、魅音によって沙都子が殺された後に魅音が自殺した」かのような描写だったが、
実際に見せられたのは「沙都子が魅音を殺し、沙都子自身も自殺」
自分の心に住まう鬼を認めて鎮める行為というのは、すなわち
「自分の中のもう一人の自分を認めること」
TIPS鬼狩柳桜やオヤシロさまの昔話とも通じることで、鬼の血と溶け合うことと同義です。
もう一人の自分の罪を認めた上で、どう生きるか。
1.量子とは
さて、ここからは「量子」と「びっくり箱」の繋がりを知っていただく為に、順番に材料を並べていきます。
量子とは、粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位のことです。
物質を形作っている原子そのものや、原子を形作っているさらに小さな電子・中性子・陽子といったものが代表選手です。
光を粒子としてみたときの光子やニュートリノやクォーク、ミュオンなどといった素粒子も量子に含まれます。
量子の世界は、原子や分子といったナノサイズ(1メートルの10億分の1)あるいはそれよりも小さな世界です。このような極めて小さな世界では、私たちの身の回りにある物理法則(ニュートン力学や電磁気学)は通用せず、「量子力学」というとても不思議な法則に従っています。
>粒子と波の性質をあわせ持った
これが本記事の核となる部分です。
光も物質もその実体は量子です。
それが何物かはさておき、その最大の特徴は「波と粒子の二重性」、つまり、波であると同時に粒子でもあるという性質です。
松浦壮. 量子とはなんだろう 宇宙を支配する究極のしくみ (ブルーバックス) (Kindle の位置No.748-750). 講談社. Kindle 版.より
2.重ね合わせとは
重ね合わせ(かさねあわせ、英: superposition)は、量子力学の基本的な性質である。
重ね合わせとは、複数の状態を確率的に取り得る状態であるが、実際に状態を「観測」して見ると、量子力学の原理によってある1つの状態に収縮することを表します。
これが次の猫箱の話とも密接に関係しています。
3.猫箱とは
「うみねこのなく頃に」でひたすらに登場してきたイメージがあるこの「猫箱」ですが、作品ファンにとっては周知の事実であるように「シュレーディンガーの猫」が元となっています。
オーストリアの物理学者、E=シュレーディンガーが考案した量子力学に関する思考実験。
ラジウムがα粒子を放出すると毒ガスが発生する装置を猫とともに箱に収め、α崩壊の半減期を経過した後に猫の生死を問うもの。
半減期を迎えた時点でラジウム原子核が崩壊してα粒子を放出する確率は50パーセントであり、量子力学的には崩壊していない状態と崩壊している状態は1対1の重ね合わせの状態にある。
一方、これを猫の生死と結びつけると、生きている状態と死んでいる状態を1対1の比率で重ね合わせた状態にあると解釈される。
量子力学的な効果を巨視的な現象に結びつける際に生じる奇妙さを指摘したものとして知られる。
ここまでで「量子・シュレーディンガーの猫箱・びっくり箱」この3つの繋がりというのを、なんとなく感じていただけるかなと思います。
4.重ね合わせの猫箱
うみねこ咲の「重ね合わせの猫箱」と、ひぐらし業の「不規則性エントロピー」のメロディーが似てるという話は当初からあったと思います。
「不規則性エントロピー」を聴いた一部のファンが、「重ね合わせの猫箱」を連想させるようにわざと曲調を寄せたのだと思います。
曲を作っていたら、たまたま他の「なく頃に」作品に提供した曲と似てしまったんだ!
と解釈するのはさすがに苦しいかなと思っていたので…
両曲の関連性について、一見曲調だけのように思えますが、実は曲名もしっかり繋がりがある"らしい"です。
私には下記の内容がさっぱり分かりませんが!
ところで、「エントロピー」ってあまり聞き慣れない言葉ですよね。
私もひぐらし業でこの曲に触れるまで知りませんでした。
意味を調べてみると…
エントロピーとは、不可逆性や不規則性を含む、特殊な状態を表すときに用いられる概念である。簡単にいうと、「混沌」を意味する。
もともとは熱力学において、エントロピーという言葉は使われ始めた。すべての熱をともなう物体は、「高い方から低い方へと流れる」という方向性を持っている。しかし、逆に、低い方から高い方には流れない。逆の現象は起こらないので、「エントロピーが発生している」と表現することとなる。
(中略)
エントロピー増大の法則
熱力学で頻繁に用いられる理論が、「エントロピー増大の法則」である。
エントロピーは、物質が存在し続ける限り増大し続ける。外部から何らかの働きかけをしてやらない限り、エントロピーが減少することはない。
言い換えれば、物事は秩序から始まり、自然に無秩序へと向かう可能性はあっても、さらなる秩序を目指しはしない。
前述の、鉄と氷の関係でいえば、熱い鉄はずっと氷を溶かし続ける。
仮に、氷が溶けなくなったとすれば、誰かが意図的に鉄を冷やした場合だけである。現象を放置している限り、鉄と氷の間にあるエントロピーは増大する。
ということは、一先ず「不規則性」と「エントロピー」は大体同じ意味だろうと捉えて良さそうです。
では、「不可逆性」。これについて考えると、すぐに思い浮かぶのが「記憶の累積は不可逆的だ。」というエウアの言葉です。
元々、「ひぐらしのなく頃に」という作品は、古手梨花が体験した「最初の世界」で、鷹野に腹を裂かれて殺されたのがきっかけとなり、彼女の100年の旅が始まったという物語です。
ある意味その最初の世界というのは、誰の手も加えられていない「秩序の保たれた世界」ですよね。
そこから「不可逆的」な記憶の蓄積によって、これまたある意味「無秩序」な方向へ進み続けるのが今までの物語で示されています。
無秩序から秩序のある状態には絶対に戻らない。
梨花が鷹野に殺される世界は、もう二度と訪れることはないということですね。
5.「猫騙し編 其の四」の視差表現
放送当時にTwitterか何かで、どなたかが「沙都子が反復横跳びをしている。」
みたいな発見をされていたかと思います。
はっきりとした出所を覚えていなくて申し訳ないのですが、これも量子云々と結び付けられます。
過去の記事では、大石の「フレデリカァ!(?)」発言も拾って意味づけしてきたのもありますし、この描写も意図的なものとして捉えます。
効き目の調べ方はご存じですか?
もしやったことがなければ、ぜひやってみてください!
①まず腕を前に伸ばし、両手を45度の角度で合わせて親指と人差し指の間に三角形の開口部を作ります。
②両目を開けた状態で、この三角形の開口部を中心に、壁掛け時計やドアノブなど、遠くにある対象物と重ね合わせます。
③左目を閉じます。
④対象物が中央に見える場合は、右目(開いている方の目)が利き目です。対象物が指で作られた開口部の中にない場合は、左目が利き目です。
ちなみに私は「右目」が効き目でした。
ここで改めて先ほどの沙都子のカットを見てみると…。
ここから導き出される答えは2つあります。
まず一つは古手梨花の効き目は右目だったこと。
そしてもう一つは、梨花はこの瞬間、確かに「両目」で沙都子の赤目人格の存在を「観測」し、認めたということ。
「左目」だけで見た瞬間に、沙都子の赤目が梨花の前で初めて表現されていたのも私としてはかなり嬉しいです。
赤目沙都子側の真実を「左目」だけで見ている状態と例えていたので。
片目で見ると…例えば左目だけでワンシーンを見てしまうと、赤い線で描かれたものは全て見えなくなってしまうが、青い線で描かれたものは黒い線として認識することが可能である。
と、このように考えてみると、例えば「猫騙し編 其の参」“綿流し“のシーンは「観測者」が左目だけで見ている状態であると仮定することができます。
まとめ
今まで、業/卒のカケラの違和感描写については
①フレデリカ人格が祭囃し編のカケラを”壊して”世界を作り替えたからその余波的な物
②フレデリカと古手梨花の物語が並行して進んでいる
などと考えてきました。
それらに「びっくり箱」要素を加えることで、今回のような結論に辿り着けました。
ということで私の中では…
■アニメ版 業/卒
世界α「赤目梨花(フレデリカ)と赤目沙都子」
世界β「白梨花(黒でもあるけど!)と白沙都子」
■マンガ版
業「白梨花と白沙都子」
卒「赤目梨花(フレデリカ)と赤目沙都子」
という描き分けがされている認識になるかなと思います。
卒マンガ版はあくまで予想ですが、表現方法の違いを考慮し、かつアニメのように業の中で話の矛盾や描写の異変を感じなかったので、こういう分け方するんじゃないかなぁと思いました。
H173が無くとも同じ人物が発症するために、白い2人の物語であっても惨劇は起きてしまう。
…ほんっとにマンガ版の沙都子めちゃくちゃ白く見えるので!!
一旦まっさらな気持ちで読み直してみてほしいです!!!
私は信じる!!!!
それでは、閲覧ありがとうございました!!
引き続き毎話投稿していきます🤗
書ききれなかったメモ書き達
・騙しと明しが別のカケラだと言うのであれば、旧作の出題編↔️解答編のように描けばいいですし、同一カケラ内で描写の矛盾が起きてはいけない
・沙都子もある意味箱の中に閉じ込められた"猫"ということに。
・「Eyeがなければ見えない。」ってことですね。。検索したらそこそこの人が同じギャグを思いついててジワりました。
・対話というのは基本的に、目を開いていなければ成立しない。
・私たちが距離を測ることができるのは、両目で見ているから。
相手との心の距離も、両目を見開かなければ測れない。
・H173の入ったケースの反転は、鏡写しのもう1人の自分は使っていないという暗喩とも取れるか。
・世界の見え方は、あなたの捉え方次第で何色にも変えられる。
参考文献
図解でわかる 14歳から知る人類の脳科学、その現在と未来
量子とはなんだろう 宇宙を支配する究極のしくみ (ブルーバックス)
この本の著者の方の記事もあります。